「ゲルニカ」をシャツに込められたバスクへの共感

ピカソはズボンにもこだわりがありました。仏ニースのテーラー、「サポーン」がお気に入りでした。アトリエに来訪者がいない時のピカソは、パンツ一丁で絵を描き、作陶をしましたが、客がいるときにはさすがにズボンをはきました。ことに好きだったのが、男の子がはくような「シマシマパンツ」です。この大きな横縞のズボンを、毎度、仕立てたのがサポーンでした。これだけのお気に入りだったのですから、サポーンの店のモデルにもなっていたかもしれません。横縞のズボンをはくかどうかはさておき、「一生青春」のお手本のひとりがピカソであることは、間違いありません。人は「青春」である限り、服が生きる人生でいられるのです。

仏リビエラで行われた闘牛で指を鳴らすピカソ(中央)。左は劇作家、ジャン・コクトー=AP 

バスクシャツは20年代にリゾートファッションとして南仏あたりから流行したといわれています。ただ、ピカソのトレードマークともなったこのシャツには彼の別の思いも込められているのではないでしょうか。

ピカソの代表作であり、だれもが知るところの大作が「ゲルニカ」です。ゲルニカはバスクの中心にあり、スペイン内戦中の37年にドイツ軍から無差別攻撃を受けました。多くの一般市民が犠牲となったのです。ピカソの祖母はバスクの出身で、ピカソはお父さんの血を通じてバスク人への共感があったものと思われます。だからこその「ゲルニカ」であり、バスクシャツであったと思うのです。

出石尚三
服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。

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