「初の女性」だからこそ自由に 渡辺淳子さん
常磐興産取締役執行役員(折れないキャリア)
富士銀行(現みずほ銀行)に就職した40年前、キャリアなんて考えもしなかった。しかし、しばらくして驚きの事実を知る。隣の席に無造作に置かれていた給与明細に、自分の3倍近い金額が書かれていたのだ。「5歳くらい上の男性管理職の席だったが能力はいまひとつ。資料を作ってあげたり、ミスを救ってあげたりした相手だった」
社会に出ると、女というだけでこれだけの差が出るのかと思い知らされた。偉くならないとダメなんだ!と思ったが、自分には道がなかった。
転機は入行6年でやってきた。男女雇用機会均等法が施行され総合職に転換。広報部に異動し、その後は同行初の女性支店長、新設したダイバーシティ推進室の室長など"初"のキャリアを重ねていく。
当然、思い通りに行かないこともあった。最もつらかったのは芝公園支店の副支店長時代だ。年上の男性部下が口もきいてくれない。相手をしばらく観察し、クレーム処理にとても苦労していることがわかった。自分は得意分野だ。引き受けることで徐々に認めてもらえるようになった。
融資でも難しい判断を迫られた。店が進めていた、違和感のある案件にノーといえず失敗。やがて支店の閉鎖が決まり、顧客の引き継ぎや行員の人事に奔走する。これが子宮筋腫を悪化させ、その後1カ月半の入院を余儀なくされた。「銀行には優秀な人がたくさんいて、さらに体力が求められた。もうダメかな、と考えた」
だが40代で引退は早すぎる。入行3年目に結婚した夫とは財布が別で、互いに自立した関係だった。2カ月後に職場復帰した部署で勉強熱心な同僚と仕事することになり、いろいろな働き方があることを知る。自身もファイナンシャル・プランナー1級を取得するなど力をつけることにした。
6年前、スパリゾートハワイアンズを運営する常磐興産へ。「顧客の反応がビビッドに伝わる仕事で、銀行より向いているみたい」。ここでも初の女性役員だ。
120億円をかけた新ホテルの建設プロジェクトを率いる。「会社では40年間ずーっと異物。何をやっても"初の女性"だが、比較されない分、自由にできる。若い人も恐れず挑戦してほしい」。どこまでも前向きに突き進む。
(聞き手は中村奈都子)
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