女優・とよた真帆さん 「恩は返ってくる」母の口癖
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優のとよた真帆さんだ。
――どんな家庭で育ったのですか。
「両親と兄、姉の5人家族ですが、父は家に住んでいませんでした。大手広告代理店で20代で部長になるなど優秀な広告マンだったようですが、自分で立ち上げた会社が倒産し、家を出てしまったんです。当時の私は2、3歳で、我が家には父がいないと勝手に思っていました。その後、父とは定期的に会っていろいろな相談事もしました。うまく言えませんが、仲も良かったと思います。父も悩んだはず。自分の親ですもの、嫌いにはなれませんよ」
――お母様はご苦労も多かったのではないですか。
「父が銀座に残してくれたバーに立って、生活を支えてくれました。浅草育ちの江戸っ子で、細かいことにこだわらない性格です。『仕方ないねえ、お父さんは……』と言いながら、子供たちに愛情を注いでくれました。そんな人柄もあり、バーは著名な作家の方々が常連客の、知る人ぞ知る店となりました。幼かった私には、母の働く姿が輝いて見えました。同時に、そんな母を幸せにしたいと強く感じたことも覚えています」
――17歳でモデルの仕事を始めました。
「苦労する母を見ていましたので、いっときも早く自立したいと思っていました。モデルのオーディションを受けたのは、憧れていたとかではなく、当時の自分が働けるという理由からでした。ハワイで撮ったテレビCMを手始めに仕事が増えると、悩んだり苦しんだりの連続でした。ただ不思議なもので、だんだんと興味が湧いて面白くなってきました。今思えば、女優としての種まきの時期だったのかもしれません」
「モデルで得た収入で自分の学費を払い、残りは貯金、20歳の時に母に伊豆高原の家をプレゼントしました。その時の母の表情は忘れられません。娘の成長を喜んでくれたのかな。今では二世帯住宅を建て、母と同居しています」
――お母様から受けた影響が大きいようですね。
「『恩は恩で返ってくるのよ』が母の口癖です。相手を愛し、助けるという当たり前のことが大切だと教わりました。誰かを頼り、助けを求めることも決して悪いことではない。でも、まずは自分で自分の面倒をみるという気概を持たなければならないことも、母は教えてくれていたのだと思います」
――2002年にはご自身も結婚されました。理想の家族の形とは何ですか。
「難しい。正解はないんじゃないでしょうか。それぞれ頑張ろうって感じかな。必ず助けに駆けつけるし助けを求めることもできる。最期まで味方でいてくれるのが家族だと思います。最近はテレビ関係の仕事に就いている兄と一緒に番組も作りました。家族っていいなぁって感じます」
(聞き手は生活情報部 佐々木聖)
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