旅がヒントに スープストックトーキョーの味作り
ワーク・ライフ・バランスが求められる中で、仕事そのものを面白がって「遊ぶように働くひと」たちが現れています。スープ専門店「スープストックトーキョー」の数多くのメニュー開発に携わってきた桑折敦子さんもその一人。2017年6月に独立し、今ではフードプランナーとして活躍しています。学生時代に初めて行った海外旅行で食べ歩きの楽しさに目覚めた桑折さんは、世界各国への旅で感じたおいしさを「みんなに伝えて共有したい」という思いが仕事の原動力になっていると言います。
メニュー開発のインスピレーションは旅
―― 女性一人でも入りやすくて人気のスープ専門店、スープストックトーキョー。食べられるメニューが毎週変わる「新鮮さ」でリピーターをつかんでいます。数多くのメニューを開発したのが桑折さんで、生み出したレシピは200種以上だとか。記念すべき1つ目のメニューは何だったのでしょうか?
桑折敦子さん(以下、敬称略) 2004年に(スープストックトーキョーを展開するスマイルズに)入社してすぐ、夏のメニューとして開発した「ゴーヤと豚肉のスープ、ライム添え」でした。そもそも温かいスープは夏に販売が伸びないのですが、その年の夏は特に猛暑が予想されて、新たな「売れるメニュー」の開発が急務でした。その時に考えたのが沖縄とベトナムをイメージしたこのスープです。ゴーヤとライムのビタミンCと豚肉のビタミンB1で疲れを吹き飛ばしてもらいたい、と考えました。当時はまだゴーヤを使ったスープが珍しく、酸味と苦味がきいた味が好評で3日で欠品になる売れ行きでした。「それはそれで困るんだよね」と言われましたね(笑)。
―― 大成功したスープは沖縄とベトナムをイメージしたんですね。実際に旅先で覚えた味がヒントに?
桑折 そうですね。私の場合、メニューを作るという仕事のために旅をするわけではなくて、個人的に行きたいところへ旅をして、旅先でいろいろ食べてヒントをもらい、それが仕事に役立っている感じです。
旅をするために仕事を辞めたことも
桑折 もともと旅が好きなんです。そのルーツは、学生時代に行った2週間のスイスへのトレッキング旅行。自由参加の体育の授業だったのですが、「社会に出たらそうそう長期間の旅行はできないよ」と先生から言われ、思い切って参加しました。
初めての海外旅行では、「世の中には知らない食べ物がたくさんある」こと、「食は風土と密接に関わっている」ことに興奮しました。実は、その旅ではおいしいものを食べた思い出よりも、あまりおいしくなかった思い出の方が多いのですが、それすらも一緒に行った友人たちと共有できて楽しかった。
それからは、機会を作っては台湾、韓国、ベトナム、シンガポール、ラオス、インド、ネパール、スリランカ、スペイン、トルコ、イタリア、フランス、ベルギーなど、東南アジアやヨーロッパを中心にさまざまな国を旅しました。スープストックトーキョーに入社する前は飲食店や医療機関に勤めていたこともあるのですが、旅をするために仕事を辞めたこともありました。
サン・セバスチャンのアパートで料理三昧 帰国後自宅で料理会
―― 旅先ではどんなふうに過ごしているのですか?
桑折 旅の目的は、ズバリ食べること。チケットも宿もすべて自分で手配する自由旅行で、いわゆる観光地には一切行かず、ひたすら食べます。そんな私の旅のスタイルに興味を持った友人や知人たちから「一緒に行きたい」と言われることが増え、最近は何人かと一緒に、現地集合現地解散のルールで旅をしています。
少し前までは一人旅がいいと思っていましたが、今はSNSでつながった「おいしいものを食べたい」「旅行が好き」という共通項のある人たちとの旅の楽しさに目覚めました。人数が多いと、たくさんの種類を食べられるところもいいんですよね。先日は、スペインのサン・セバスチャンに7人が集合。アパートを借りて12日間滞在し、レストランや市場などを巡りました。宿泊先をホテルにしなかったのは、地元の食材を自由に調理して食べたかったから。特においしかった黒いトマトはキッチンで煮詰めてソースにして、冷凍で持ち帰りました。外食だけで過ごしていてはできない経験を旅先ですると、世界が広がるように感じます。
桑折 旅から帰った後にも楽しみが。家族や友人を招いて食事会を開催します。現地で買った食材を使いながら、おいしいと思った料理を再現して感動を伝えます。食べてくれた友人たちの反応を見ることは、調査の数字とは違う「実感値としてのマーケティング」として、メニュー開発の参考になります。
旅で出合った「おいしい」の感動を共有したい
―― 海外のメニューをそのまま日本に持ってきても、日本の風土と合わなかったり、日本人の味覚に合わないこともあると思います。 メニュー開発の際の工夫があれば教えてください。
桑折 お店で展開する場合には、まずはそのメニューの背景にある物語を説明する工夫をしています。そのためにリーフレットを作ったり、イタリアフェアやフランスフェアのように文化を発信する企画として紹介したり。
例えば、イタリアで食べた豆のスープ。地味だけれど、しみじみ感動するほどおいしかったのです。この味を何とか伝えたかったけれど、単品では地味過ぎて絶対企画が通らない(笑)。そこで、イタリアフェアに紛れ込ませて豆のスープを登場させました。食べてもらえば、そのおいしさを分かってもらえると思ったので。スープストックトーキョーのコアなファンの方には、こういったメニューを待っている方も多いのです。
また、日本人の口に合うように食材を置き換えることもあります。イタリアではルッコラが使われているところを春菊にするとか。それから、大切にしているのは「その国の気候と日本の季節を合わせること」ですね。東南アジアの酸っぱ辛い味のスープは、日本では夏に提供するようにしています。
カリフラワーのスープは開発に5年
―― 1つのメニューを開発するのに、どれぐらいの時間をかけるのでしょうか。
桑折 2カ月程度の短いタイムスパンのものもあれば、2年かけるもの、5年かけるものなどと、いくつかを並行しています。最初に開発した「ゴーヤと豚肉のスープ」は、2カ月程度で一気に完成させました。一方、食材を農家さんに植えてもらうところから始めるようなものもあり、そういう場合は5年コースですね。「カリフラワーの冷たいポタージュ」は、販売するまでに5年かかりました。
桑折 このスープは、フレッシュのカリフラワーを、ホタテのブイヨンと合わせて作った冷製スープです。カリフラワーのおいしさを引き出すには、冷凍ではない生のカリフラワーが必須。そのため、良質の素材を工場に近い畑で栽培してもらうところから始めました。2月に収穫した採れたてのカリフラワーをすぐにスープにし、おいしいまま冷凍して夏に提供するのです。
数量限定なのでお店で提供できるのはほんの数日だけですが、そういった商品を心待ちにしているお客様もいらっしゃいます。このメニューに限らず、スープストックトーキョーでは、確保できる食材の量に合わせて販売期間を決めます。たくさん作れるレシピしか作らないなら、誰もが同じものを作ることになってしまいます。手間がかかったり、準備が大変だったりで、みんながやりたがらない仕事をやることに価値があると思っています。
企画でボツになったカレー、2年後に再提出して「合格」
―― そうした「手間のかかる」商品の場合、社内で企画を通すのが難しくありませんか?
桑折 タイミングを計るのが大切ですね。ゴリ押しはせず、静かに機会が訪れるのを待ちます(笑)。今や看板商品にもなっている「カシューナッツのホッダ(スリランカ風ココナッツカレー)」はまさにそんな商品です。これは、カシューナッツとカボチャをココナツミルクで煮込んだスリランカ風のカレーで、2013年に初めてスリランカで食べて魅了されました。
帰国後すぐに試作して試食会に出したのですが、コスト面で折り合わず、営業からは難色を示されました。こうした「見慣れない、手間のかかる」商品を売るには、まずは社内の人をその気にさせ、販促物や企画と連動しなければうまくいきません。強引にメニュー化して「やっぱり売れなかったダメな商品」とそのメニューをお蔵入りにしてしまうぐらいならここはいったん引こうと、ボツになったカレーのレシピはそっと保存しました。
そして2年後! チャンスが巡ってきました。夏の定番、カレーの新メニューを求められたのです。すかさず、温め続けていたあのカレーを「再提出」したところ、以前却下されたものとは気づかれず、満場一致の合格でメニューに加わることに。タイミングって大切だな、と思いました(笑)。
また、「8種の野菜のラタトゥイユカレー」も企画を通す際にひねりが必要でした。その当時のスープストックトーキョーでは、スープ専門店であることにこだわっていて「カレー感を出したくない」という意向でした。でも、たくさんの野菜をご飯と一緒に食べられる、良いメニューだと自負していたので、「これはカレーではなく、カレー味のラタトゥイユ(スープ)です」と説明して乗り切りました。このレシピも今では定番になっています。
料理家。1973年、福島県生まれ。短大卒業後、飲食店や医療機関の勤務などを経て、2004年に「スープストックトーキョー」を展開するスマイルズに入社。スープストックトーキョーのほとんどのメニュー開発や、同社の飲食業態全般の商品開発に携わる。2017年6月に独立し、フードプランナーとして活躍。グルメツアーなども主催している
(取材・文 武田京子、写真 村田わかな、構成 大屋奈緒子=日経ARIA編集部)
[日経ARIA 2019年8月20日付の掲載記事を基に再構成]
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