ピラミッドの下に水没した王墓 100年経て発掘へ一歩
2019年1月、米国の研究チームが、アフリカのスーダンにあるピラミッドの下に水没した王墓に入ることに成功した。発掘に同行したクリスティン・ロミー氏が、その模様をリポートする。
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ここはスーダン北部の砂漠地帯。目の前には高さが3階建てほどのピラミッドがそびえ、足元には水中へ降りていく階段がある。この奥に、2300年前のファラオの墓が待っている。
米アリゾナ大学の考古学者ピアース・ポール・クリースマン氏が水没した古代の墓を調査する資金を得たと聞き、ぜひ取材させてほしいと私は申し入れた。
私が到着する数週間前、クリースマン氏はファラオの墓に入り、第1の部屋、第2の部屋、そして一番奥にある第3の部屋まで到達していた。その部屋の、深さ数メートルの水の中に王の石棺らしきものを発見した。これまで、一度も開けられたり触れられたりしたことはないようだった。
ヌリのピラミッド
このピラミッドと墓は、ナスタセン王のものだ。アフリカのスーダン北部、ナイル川の東岸に近い、面積70万平方メートルのヌリ古代遺跡の中にある。遺跡を空から見ると、紀元前650~前300年の間に建てられた約20基のピラミッドが、宝石を並べたネックレスのように連なっている。
これらのピラミッドの下には、クシュ王国を支配した「黒人ファラオ」たちの墓がある。クシュ王国は、古代エジプト王国の南に位置し、金の豊富な産出地としてエジプトへ黄金を供給していたが、エジプト新王国衰退後の政治的混乱のなか、独自の勢力を拡大し始めた。
そうして紀元前760年から前650年の間に、5人のクシュ王がヌビア(スーダン北部地域)から地中海までエジプト全土を支配した。彼らはエジプト王朝初期の宗教儀式を復活させ、ナイル川沿岸で大規模な建造計画を実施した。そのひとつが、ピラミッドを建造し、その下に王を埋葬することだった。
ヌリの遺跡で最大かつ最古のピラミッドに埋葬されているのは、クシュ王国で最も有名なファラオ、タハルカだ。紀元前7世紀に、アッシリアの攻撃からエルサレムを守るために王国の北端まで援軍を送り、旧約聖書にその名を残した。米ハーバード大学のエジプト学者ジョージ・ライスナー氏は、100年前にヌリを訪れ、タハルカ王の巨大ピラミッドの下にある埋葬室を発掘した。
ライスナー氏のチームはこの時、ヌリにある墓の地図も作成した。そこには80以上の王墓が記載されており、そのおよそ4分の1には、墓の上に砂岩のピラミッドが建設されていた。彼の調査メモには、発見した墓の多くが、近くを流れるナイル川からの地下水に浸かり、通常の発掘は危険であり不可能であると書かれていた。
ライスナー氏は、自身の調査結果を発表することはなかった。クシュ王国のファラオたちは人種的に劣っており、その業績は古いエジプトの伝統をただ引き継いだにすぎないというライスナー氏の誤った認識により、切り捨てられてしまったのだ。
その後、関係者が数少ない記録をまとめて1955年に公表したものの、ライスナー氏の調査からほぼ100年もの間、ヌリは忘れ去られていた。
1922年にツタンカーメンの墓が発見され、世間の関心がヌリから800キロ北にある王家の谷に移ったことや、ヌリの調査は困難と敬遠されてきた面もある。墓の多くは水没しているとみられ、スーダンで水中考古学にチャレンジしようと考える研究者はいなかった。それに、スーダン北部のヌビア地域は、その他にも考古学者の興味を引く遺跡が数多くあった。
水没した墓
クリースマン氏が初めてヌリを訪れたのは、2018年のことだった。エジプト学者であり水中考古学者でもあるクリースマン氏(ちなみに、米アリゾナ大学年輪年代学研究室の准教授でもある)は、ライスナー氏が果たせなかった水中の墓を発掘するというめったにない機会に巡り合う。
そしてナショナル ジオグラフィック協会から一部資金援助を受け、紀元前335~前315年にクシュ王国を支配していたナスタセンのピラミッドに焦点を絞ることにした。ナスタセンはヌリに埋葬された最後のファラオだったので、墓地のなかでも最も低地にある最も条件の悪い場所にピラミッドを建てなければならなかった。
水中墓地に関するライスナー氏の記録が正しいとすれば、ナスタセンの埋葬場所を発掘することで、この墓地遺跡全体が現在どれほどの水没状況にあるか推測できるのではないかと、クリースマン氏は考えた。
ライスナー氏の発掘チームは100年前、岩を切り出して作った階段を掘り起こした。階段は、ナスタセンのピラミッドの地下深くにある埋葬室へと続いていた。発掘チームのひとりが、膝まで上がっていた水と格闘しながら第3の部屋まで到達すると、そこで部屋の隅に小さな穴を開け、副葬品の像を数体発見して持ち帰った。それ以後ヌリの発掘は行われず、ナスタセンの墓とそれに続く階段は放置され、やがて砂漠の砂に埋もれていった。
クリースマン氏の発掘チームは、2018年から階段を再度掘り起こし始めた。2019年1月に墓の入り口に到達したが、そこは完全に水没していた。気候変動や近隣での盛んな農業、ナイル川のダム建設によって地下水が上昇したためと思われる。
墓の中へ
私がヌリを訪れた時にはすでに、狭い墓の入り口は鉄製の枠で補強されていた。岩が崩壊してダイバーが墓の中に閉じ込められるのを防ぐためだ。私は、そこを通り抜けて第1の部屋へ入った。クリースマン氏が言ったように、水は天井まで達していた。少しでも体を動かせば、泥が舞い上がって視界がきかなくなる。
第1の部屋は、バス1台とほぼ同じ大きさ。その中を手探りで移動しながら第2の部屋へ入り、水面から頭を突き出した。ここは天井が崩れ落ち、水面の上に大きな空間ができていた。クリースマン氏は、道具の入った袋を乾いた岩の上に置き、透明容器に入れた懐中電灯を水面に浮かせた。懐中電灯は波に揺られながら暗闇を照らしてくれる。入り口から墓の一番奥まで安全ロープが張ってあり、浮きの代わりに空き缶がくくり付けられていた。
次に、低い入り口をくぐって第3の部屋へ進んだ。濁った水の下に、石棺が置かれているのがかすかに見えた。興奮させられる光景だ。また、100年前にライスナー氏の助手が掘った穴も見つかった。調査が初期段階にある現時点でのクリースマン氏の目標は、空気供給システムの安全性を確認し、基本的な測定を行い、「ライスナーの穴」を徹底的に掘り返し、他に何か残されていないか探すことにある。石棺のなかをのぞき見るのは、来年までおあずけだ。
最後に、第3の部屋でクリースマン氏と私は石棺の上に浮かびながら、2020年の目標について語り合った。それは、水没した2300年前のファラオの埋葬室を発掘すること。大がかりな計画であり、大変な作業を要するが、クリースマン氏は楽観的だ。
「知られざるヌリの物語を明らかにするテクノロジーをようやく手に入れました。この時代は歴史のなかでも重要な時期だというのに、私たちはそれについてほとんど何も知りません。彼らの物語は、世に伝える価値が十分にあるのです」
(文 KRISTIN ROMEY、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年8月4日付記事をもとに再構成]
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