労働は義務か権利か

第二十七条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。

勤労における権利と義務とを定めたものが日本国憲法二十七条ですが、草案では権利としてのみ記されていました。どのような事情で義務という項目が付されたのかは諸説あります。ただ、現在の私たちが置かれている状況は、ちょうど「権利」と「義務」の両面から見ないと説明しきれないのではないでしょうか。

労働を権利として示す考え方は、簡単に言い換えれば、強制労働の否定です。つまり「働くことができる」権利ではなく、「人権を維持された状態で働くことができる」権利を示すものです。

一方で、義務としての労働は、社会制度の維持のためだとか、ヨーロッパ発祥の宗教倫理だとか、社会主義的発想だとかいろいろな意見があります。しかしこちらも簡単に言い換えるなら、働かなければ生きていけないから働くことをあらわしています。

つまり、「強制的に働かされるわけではないけれど、働かなければ生きてゆけない」。

そんな状況に置かれた際に、私たちはどのように生きるのか、ということで悩むわけです。そしてそんな哲学的とも言えるような状況に、多くの人たちが置かれてしまっているのではないでしょうか。

労働の視点から考える人事の仕組み

義務と権利の視点で考えてみれば、人事の仕組みもわかりやすくなります。

たとえば2020年4月から施行される「同一労働同一賃金」の仕組みは、権利としての労働に対する考え方です。仕事が同じなら、年齢や雇用形態に基づいて給与を下げてはいけない、という考え方ですから、働く人の権利を守ろうとするものです。

一方で70歳雇用に向けた企業の努力義務化はそのまま、義務としての労働に対する考え方です。社会保障を破綻させないためにも、働ける人は自分で生活を守ってほしい。そのために企業側も仕組みを整えてほしいというものです。

このような仕組みが作られていく中で、もし将来に対して不安を感じるのなら、私たちは労働そのものについての考え方を整理したほうがよさそうです。その際の視点は、個人と社会、そして権利と義務です。

個人の視点で見た場合、義務的労働とは生活を守るためのものです。

そして権利的労働とは、自己実現などを目的としたものになるでしょう。

社会の視点で見た場合、義務的労働とは互いに助け合うためのものです。

そして権利的労働とは、社会貢献を目的としたものになるでしょう。

義務と権利はそれぞれ短期と中長期という時間軸で読み替えてもよいかもしれません。

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