大泉洋の「育ての母」 東京進出で知った北海道の実力
俳優・大泉洋さんらを擁する演劇ユニット「TEAM NACS」が所属する、北海道の芸能事務所クリエイティブオフィスキュー社長・伊藤亜由美さん。映画を企画・プロデュースするほか、NHK連続テレビ小説100作目となった『なつぞら』にはTEAM NACSから安田顕さん、音尾琢真さん、戸次重幸さんが出演するなど、地方発の芸能事務所として輝かしい成功を収めています。伊藤さんが北海道との向き合い方を変えるきっかけになった一冊について語ります。
北海道では知名度上昇、でもこのままでいい?
―― 東京進出の際には苦悩もあったと聞きました。そもそも、演じる側だった伊藤さんが、なぜ裏方に回って芸能事務所を創業したのでしょうか。
伊藤亜由美さん(以下、敬称略) 事務所を創業したのは27年前です。それまでアパレル会社で働きながら舞台に立っていたのですが、当時、北海道にはエンターテインメントを創造・発信する芸能事務所がなく、私の退職金を元手に劇団の主宰者だった鈴井貴之(北海道テレビ『水曜どうでしょう』での愛称は「ミスター」)と起業しました。当初は社員ゼロで、劇団員が所属タレントとして名を連ねていました。その後、安田や大泉たちが加わりますが、彼らは大学生だったので仕事というよりバイト感覚だったと思いますね。
地方のテレビ局は制作予算が少なく、自分たちで何とかするしかありませんでした。だからこそ『水曜どうでしょう』の(低予算で無謀な旅をする)アイデアが生まれたというのもありますが。次第に自分たちで作った映画やドラマを「面白い」と言っていただくことが増え、TEAM NACSメンバーの評判も上がっていきました。でも、北海道で人気や知名度があっても、彼らも我々マネジメントする側も「このままで良いのだろうか」と思っていました。
―― 東京進出を考え始めたのは、いつ頃ですか?
TEAM NACSを東京で認めてもらうために
伊藤 きっかけとしては、1990年代後半、大泉が『パパパパパフィー』という全国番組にレギュラー出演させてもらったことが大きいですね。その頃、2003年の地デジ化に向けてテレビ業界全体が変化のときを迎えていて、特に地方は「局が統合するかもしれない」とか「自社制作の番組が一切なくなる」とか、いろいろな噂がありました。
正直「このままでは、食べていけなくなるかも……」という危機感が、ものすごく身近になってきて。舞台中心だった活動を映画や映像にシフトし始めたり、私自身もプロデューサーとしての勉強を本格的に始めたりしたのですが、エンタメを創造していく上でのさまざまな問題が地方都市にはあるのだな、と実感しました。東京に行って「TEAM NACSを俳優として認めてもらえるように、育てなければいけない」と強く思うようになりました。
―― 2004年にサザンオールスターズ、福山雅治さんらが所属する大手事務所のアミューズと業務提携しましたが、東京でのスタートは順風満帆でしたか?
伊藤 いえいえ、もう、東京へ行ってからはとにかく必死でした。提携は、私たちの事務所のことを知らないところからのお話でしたから、お互いのことを知るためにじっくりと時間をかけて取り組みました。
関係者へのあいさつ回りなど、東京と札幌を行ったり来たりの生活が始まって。最初は東京のテレビ局にあいさつ回りをしても、TEAM NACSに興味を持っていただくことはあっても「オフィスキュー」という北海道の小さな会社に関心を示してくれる人はなかなかいませんでした。正直、とても悔しかったですね。
「北海道」を掲げて挑むも、東京の壁にぶつかる
そのとき決意したのは、北海道のタレントとしてもっともっと北海道を誇りにしようということ。そしていつか絶対に東京の方と名刺交換をしたときに、「オフィスキューさんですか! お会いしたかったです!」って言わせたいなと(笑)。
―― 北海道での知名度は抜群でも、東京では全く知られていない。「東京の壁」みたいなものにぶつかったのですね。
伊藤 東京との行き来が増えるたび、北海道のすばらしさに改めて気付くようになりました。新千歳空港に降り立つと空気がおいしいと感じるようになりましたし、東京と北海道では食べ物の味が全然違って。外に出て初めて、当たり前だと思っていた北海道の良さを実感するようになったんです。
そんなある日のことです。何気なく立ち寄ったコンビニエンスストアで偶然、北海道の魅力を発信する雑誌『スロウ』の表紙が目に留まりました。
最初は、表紙写真のインパクトにひかれて立ち読みしていたのですが、そこには私の知らない北海道の土地でものづくりをする人たち、そしてその人たちの信念が書かれていました。感動してすぐに購入しました。
「初めて見る北海道」が詰まった雑誌との出合い
この時買った『スロウ』に載っていた方々に、その週末に車を飛ばして会いに行ったほど大きな衝撃を受けました。「初めて知る北海道」に、目からウロコでしたね。この時から、私の仕事や北海道に対する向き合い方が変わっていきました。間違いなく、私の「逆転の一冊」です。
―― 「北海道」にこだわって活動をする伊藤さんが、そこまで引きつけられた理由はなんだったのでしょうか。
伊藤 実は、私はそれまで北海道の魅力に気付いていなかったんですよね。でも、東京での仕事が増えてくると、行く現場のあちこちで「北海道を拠点に活動してるってスゴイですね!」と言われるんですよ。こういうタイミングで出合ったのが大きかったのかもしれません。
東京で生活をしている人たちは、私たちが北海道に住んでいることを「羨ましい」と言うわけです。空気も食べ物もおいしくていいねって。でも、当時の私は、おすすめの観光スポットを聞かれても「うーん、羊ケ丘展望台とか、時計台とか……」みたいな感じで。今思えば、北海道に何もなかったわけではなくて、ただ私が「北海道のことを何も知らなかった」だけなんですよね。
クリエイティブオフィスキュー代表取締役、プロデューサー。1965年、北海道小樽市生まれ。札幌の短大を卒業後、アパレルで働きながら鈴井貴之氏主宰の劇団に役者として所属。1992年に鈴井氏とクリエイティブオフィスキュー創業した後「オフィスキューの母」としてTEAM NACSなど所属タレントの育成とプロデュースに力を注ぐ。2012年、北海道の食と地域とそこに生きる人々のライフスタイルを描いた自身の企画・プロデュースとなる映画『しあわせのパン』を皮切りに、2014年『ぶどうのなみだ』、2019年『そらのレストラン』の北海道3部作が公開され、話題に。『そらのレストラン』は7月10日にDVD発売、レンタルがスタート。
(取材・文 青田美穂、写真 川村 勲)
[日経ARIA 2019年5月29日付の掲載記事を基に再構成]
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