イルカもできる?ヒトの考え方 独自の手法で実験
東海大 海洋学部 村山司(3)
◇ ◇ ◇
イルカを含む鯨類は、海のほ乳類だ。
祖先は陸上生活をしていたのだが、数千万年前、海に進出した。
最近、科学の世界では、鯨類の祖先がウシやシカ、ラクダなど偶蹄類と共通であることが常識になっている。分子生物学的な証拠と化石証拠が両方出ているので、たぶん覆されることはない。現存の陸上のほ乳類としてはカバが一番近い。鯨類と偶蹄類をまとめて言う時、「鯨偶蹄類」という言葉まで使われる。つい10数年前までは、メソニクスという肉食動物が祖先ということになっており、鯨類の本を読むと復元図まで描かれていたので、あの頃の知識のままだと、「え?」と思うだろう。
さて、数千万年にわたってまったく違う環境で暮らしてきたヒトとイルカが「同じふうに考えているのか」というのは、興味がつきない問題だ。
もちろん、人と人ですら考え方はそれぞれだし、イヌやネコのように人と近い場所で暮らす動物ですら考え方が同じはずがない。でも、基本的なこと、たとえば、数を区別できたり、論理的な能力などが違うと大変だ。例えば1と2を区別できるのだろうか。AならBで、BならCならば、AならばCである(いわば三段論法)のような基本的な推論が成り立たなかったりすると、「話をしたい」と思っても、戦略を大幅に変えなければならないかもしれない。
「1995年、96年前後ぐらいですかね、鴨川シーワールドにいるシロイルカのナックを相手にそういう実験を始めました。最初は、ナックが日ごろから目にしているフィンやマスクにアルファベットのRとTを対応づけました。Tは、逆さにしているんですが、それは見間違いを防ぐためです。フィンを見たら、⊥を選びなさい。マスクを見たら、Rを選びなさい、と。それから、今度は、⊥を見たらギリシア文字の兀(パイ)を、Rを見たらΣを選びなさい、というふうにやって、突然、フィンを見せて、ギリシア文字を選ばせる、と。厳密に三段論法というわけではないんですけど、こういうことが分かるかというのは大事なので」
結果は、見事にクリア。それも、フィンやマスクから、ギリシア文字への対応を一発でなしとげた。フィンは⊥で、⊥は兀。ならば、フィンを見れば、兀を選ぶ、と。ナックにとって、こういう連想が、ごく自然なものであったと考えられる。
「あと、数についても確認しました。ちゃんと1と2の区別がつくか。実は、それしかやってないんですけど(笑)。あと少し足し算みたいなこともどうやらできるようだと分かりました。さらに、違う図形、例えば三角と丸を呈示しておいて、それとは別に手元では四角やダイヤとかを見せ、手元で見せたものと同じ数のものを選べってやると、できるんですね。そんなことをして、数の認識もあるというようなこととか、人とだいたい似たような感覚を持ってるというか、同じような考え方ができるということがわかったというところで、じゃあ、いよいよ言葉を教えようかと、ということになったんです」
イルカと話したい! という高校時代からの野望(?)を抱く、村山さんは、確実にステップを踏み、ここまでたどり着いた。いよいよ、イルカに「言葉」を教えるぞ、と。20世紀最後期だ。
実はこの時点では、村山さんは、イルカに言葉を教える研究者だとは世間では思われていなかったかもしれない。むしろ、イルカの知能の研究者、という認識だろうか。
「イルカって賢いって言われるけれど、村山さんは、それをただ立証しようとしてるんだなって、多分思われていたと思います。わたしも『イルカと話をしたい』なんて荒唐無稽以上の感覚だというのはあって、あまり外では言っていなかったですね。言っていたのは、親兄弟ぐらいですかね」
たしかに、この時点で言われても、それほどリアリティはなかっただろう。研究の動機としては理解できるけれど、具体的な目標として掲げるとなると、「おまえ、だいじょうぶか」という声が聞こえてきたそうだ。だからこそ、村山さんは、ひとつひとつ足下を固め、石橋を叩くように進んできた。
象徴的なのは、たぶんイルカの研究で、村山さんのチームしかなしえていない、実験の手法。
読者諸賢の中にはここまでの実験の紹介で、「賢い馬ハンス」のことを思い出した人がいるのではないか。19世紀末から20世紀初頭にかけて「活躍」したドイツの天才馬で、ドイツ語を理解して、計算もできるとされた。のちに、ハンスは、観客や飼い主、出題者の反応を見て、答えを当てていたことが解明された。実際、人々の反応を見ることが出来ない状態では、正答をほとんどできなくなった。人々の反応を見て回答するというのは、別の意味で賢い馬と言えるわけだが、ドイツ語を理解したり、計算できたりするわけではなかったのだ。これは「クレバー・ハンス効果」などとも今は呼ばれている。
イルカの研究では、この点があまり考慮されない事例が見られるが、村山さんは最初から自覚的に取り組んでいた。
「私、鴨川だけじゃなくて、いろんなとこで実験をやってるんですけども、人が回答のパネルとかを自分で持っていると、厳密な実験じゃなくなってしまうんです。成功したらエサをあげる、というやり方をしますね。それで、正答する前に、ちょっと肩を引いたり、予備動作が出てしまう。失敗しそうになったら、成功するまで、つい待ってしまうとかもあります。それで、人間が直接関わらない呈示装置を作る必要がありました。ナックの実験で使っているのは、吻(ふん)タッチャブル、と言ってまして(笑)、吻で触れる呈示装置です。ここまでやって実験している人たちって、正直、他には知らないんですけど、これはやらなきゃならないことなんです」
村山さんたちの実験は、このように「賢い馬ハンス」効果を排除している。本当に、思い込みやら、希望的な観測が入り込みやすい研究テーマなので、このあたり注意深くなることが必要なのだ。また、必ず手持ちのトーチを点灯させてから回答させるなど、出題された側のイルカが、問題を取り違えないような工夫もされている。
そして、村山さんが、イルカと話すという「野望」への本丸を埋めるために、ナックに言葉を教える実験に取りかかったのは、2000年代だ。
「2003年に初めて、ナックの鳴音、私はナック語と言ってますが、そのナック語で物の名前を呼ばせようという、言葉を教える実験が始まりました。私自身、ちょっと失業していた時期があって、研究にブランクが出来たんですが、それでも、なんとか実験を再開することができました」
この段階では、村山さんの研究は、まだ「イルカの賢さ」についての研究だと世間には思われていた。今でこそ「しゃべる(真似する)イルカ」として、一般への訴求力が強い部分が強調されるが、当時は「イルカだったら、それくらいやるでしょ」「イルカが賢いと分かったとして、それでどうなるの?」という醒めた見方をする人も多かった。研究の価値を理解してもらいにくく、研究者としてのポストがいったん途切れる中でも、なんとかひとつひとつ階段を上るように、村山さんは目標へと向かってきたのである。
(2015年5月 ナナショナル ジオグラフィック日本版サイトから転載)
1960年、山形県生まれ。東海大学海洋学部教授。博士(農学)。1984年、東北大学を卒業後、1991年、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。水産庁水産工学研究所(現・水産総合研究センター)、東京大学を経て、現職。主に飼育下のイルカを対象に、認知機能やコミュニケーション能力を研究している。『イルカの認知科学――異種間コミュニケーションへの挑戦』(東京大学出版会)、『ナックの声が聞きたくて! "スーパー・ベルーガ"にことばを教えるイルカ博士』『海に還った哺乳類 イルカのふしぎ』(講談社)『続イルカ・クジラ学』(共著、東海大学出版会)など、著書多数。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
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