シリコンバレーの女性幹部が示す リーダー育成の条件

2019/11/12
シリコンバレーの女性幹部は様々な壁を乗り越えてきた(アドビ本社)
シリコンバレーの女性幹部は様々な壁を乗り越えてきた(アドビ本社)

世界の技術革新をけん引する米シリコンバレー。ただ、そこに居を構える企業にも、女性への偏見は残る。様々な壁を乗り越え、先端企業で活躍する現地の女性幹部は、どのように成長してきたのだろうか。今、リーダーシップをどう発揮しているのだろうか。インタビューを通じて、リーダーが育つ条件を探る。

キャリアのはじめにリーダー目線を獲得

「何のためにこの油田を掘っているのか、思い起こしてほしい」。米アラスカの油田で、28歳の女性監督が男性作業員を前に熱弁をふるっていた。もう四十数年も前のことだ。監督を務めていたのは、現在インテルでエグゼクティブ・バイスプレジデントとして品質保証を担うレズリー・カルバートソンさん(70)。石油会社BPに勤め現場監督となったものの、男性作業員から最初は無視され続けた。しかし諦めずに、説き続けた。

20代の頃、アラスカの油田で現場監督を務めたレズリー・カルバートソンさん

腹をくくった若き女性リーダーに、男性の作業員たちは変わっていった。カルバートソンさんが悟ったのは、人を管理するマネジャーと、ビジョンを説いて率いるリーダーは違うということだ。肩書がなくても、リーダーシップを発揮して人を引っ張っていくことはできる。「リーダーになれるかもしれない」。かすかな自信が芽生えたという。2年後にはインテルに転じる。インテルで40年にわたり活躍し続ける彼女の基盤はこのときに築かれた。

日本企業の米国進出も支援する米地方銀行バンク・オブ・ザ・ウエスト最高経営責任者(CEO)のナンディタ・バクシ―さん(60)の気付きも早かった。米国の銀行業界で女性のCEOはわずか2%にすぎない。今では従業員1万人以上を率いるバクシーさんの出発点は、ある地銀のパートタイム職員だった。

バンク・オブ・ザ・ウエストのナンディタ・バクシ―さんはパートタイム職員からCEOに

インドで生まれ育ち、母国で国際関係論の修士課程を修了後、米国で博士号取得を目指す夫に伴い移住した。母国での学歴を生かせるとは言えないポジションでも、気持ちは常に前向きだった。「銀行で扱う金融商品を売るように」。上司からの指示にも、ただ従うことはしなかった。顧客ニーズに必ずしも合うものではないと映ったからだ。銀行の顧客は何を求めているのか研究し、いつしか営業成績はトップクラスに入った。

結果を出せば、昇進への道は開かれる。でもバクシーさんは「キャリアを横へ横へと広げていくことを考えた」と振り返る。商品企画部門、支払業務と経験を重ねた。常に顧客目線を忘れない仕事ぶり。自然と周囲からリーダーを任されていた。

目の前の業務に取り組むだけでなく、この仕事がなぜ必要か、どんな意味があるのか、一段上の視点で考える。2人の姿はこの重要性を示している。

失敗は素直に謝罪、信頼関係を築く

涙を流すような悔しい局面での部下への振る舞いも、リーダーの真価を問われる。

ドロップボックスのリンフア・ウーさんはクライアントから契約を打ち切られる事態に直面した

クラウド上のデータ保管サービスを手掛けるドロップボックスで、コミュニケーション部門統括を務めるリンフア・ウーさん(49)。かつて勤務した危機管理会社で、部下に向かって深々と頭を下げたことがある。「これは100%私のミスです。二度とこのようなことがないようにします」と。

重要なクライアント企業のライバル会社から、仕事をうっかり受注したことが発端だった。クライアントは激高し、契約を打ち切られる事態に。「自分が恥ずかしかった、泣きたかった」とウーさん。パートナーという役職だった自分の責任だ。部下全員を集め、素直に謝った。でも卑屈にはならなかった。「誰も命を取られるようなことではない」と言い聞かせ、次の業務を進めた。

スタンフォード大教授・医師から転職したジェネンテックのサンドラ・ホーニングさん

サンドラ・ホーニングさんはバイオテクノロジーの先進企業として知られるジェネンテックで、チーフ・メディカル・オフィサーとして5000人を率いながら、がんの新薬開発に取り組む。10年前、スタンフォード大教授・医師から転じた。がんの著名な治療医として知られていただけに、周囲は驚いたものの、ホーニングさんは「何かインパクトのある仕事ができるのでは」と期待したのだという。

しかし、周囲の目は温かいとは言えなかった。折しもスイスの大手製薬会社ロシュの傘下に入ったときのこと。ロシュから送り込まれた人だと、誰もが冷たい目で見た。会社の送迎バスでは、隣に誰もすわってくれなかったそうだ。そこでくじけないのが、リーダーだ。「医師として何が大切かは分かっている。患者のためになることをビジョンとして掲げた」。その姿勢が信頼関係を築くことにつながった。この10年で15種類の新薬を世に送り出している。

次のページ
修羅場こそ成長の源泉