無傷の沈没船 19世紀悲劇の北極探検隊の謎に光明?
1845年、カナダの北側を通って大西洋と太平洋を結ぶ「北西航路」を開拓すべく、ジョン・フランクリン卿が指揮する探検隊が英国を出発した。彼らが乗り込んだ2隻の英海軍の艦船エレバス号とテラー号は、その後長らく行方不明となっていたが、2014年と2016年に相次いで沈没した姿で発見された。
このほど政府機関パークス・カナダの考古学チームが、遠隔操作の無人潜水機を使ってテラー号の内部を潜水調査したところ、極めて良好な状態を保っていることが判明した。
「驚くほど無傷です」と、調査プロジェクトのリーダー、ライアン・ハリス氏は話す。「とても170年前に沈没した船とは思えません。これほど良い状態の沈没船はめったに見られません」
テラー号は、北極圏に浮かぶカナダのキング・ウィリアム島の沖で発見されたが、これまで徹底した調査は行われていなかった。2019年8月、海は例年よりも穏やかで水の透明度も高かったため、パークス・カナダのチームはイヌイットの人々の協力を得て、沈没船を7度にわたり探査した。極寒の海で、ダイバーたちは素早く行動し、メインハッチの昇降口と乗組員室、士官食堂、船長室の天窓から小型の無人潜水機を船内に入れたのだ。
「部屋と区画を合わせて20カ所、調べることができました」とハリス氏は話す。「どの扉も、不気味なほど大きく開いていました」
小型の無人潜水機が映し出した光景を見て、ハリス氏らは驚きと歓喜の声を上げた。食堂の棚に収納されたガラス瓶やディナープレート。配置が変わった気配のないベッドや机。ケースに入れられた計器類が見えたからだ。船内は、大部分が堆積物に覆われているため保存状態が良く、航海日誌、海図、写真なども見つかる可能性もある。
「堆積物、冷たい水、暗闇という条件のおかげで、完璧に近い嫌気性環境になっています。布や紙など、本来、分解されやすい繊細な有機物の保存に最適な環境なのです」とハリス氏は説明する。「衣類や書類を発見できると思います。判読可能なものも見つかるかもしれません。船長室の棚にはたいてい地図が置かれていますが、巻かれたり折り畳まれていたりする地図なら、損傷しないで残っている可能性も十分あります」
残念ながら、船長が寝泊まりする区画だけは調べることができなかった。おそらく船長は最後まで扉を閉めていたのだろう。「船内で唯一、この扉だけが閉じられていました。扉の奥に何があるのか、興味は尽きません」
チームが同じくらい興味をもっていることがある。遠征当時の写真が見つかることだ。記録には、銀板写真のカメラが持ち込まれたとあり、使われていれば、撮像済の写真乾板があるかもしれない。「見つかれば、現像して、当時の写真をよみがえらせることもできるでしょう」とハリス氏。「実際、ほかの沈没船の調査で、そうした事例があります。技術も確立されているので、見つけるだけです」
なぜ沈没? 残る謎
ところで、フランクリン遠征隊が、どんな結末を迎えたかは、歴史の大いなる謎の一つだ。
わかっているのは、1845年5月、ジョン・フランクリン卿が133人の乗組員を率いて出港したこと、北西航路の発見が目的だったことだ。北西航路の発見は数世紀にわたる挑戦であり、過去、たくさんの探検隊が派遣されてきた。
北極圏を探検しようという原動力は、当時も今と同じく、地政学的な理由だった。北西航路は大西洋と太平洋を結ぶ最短航路と考えられており、英海軍はロシアより先に航路を発見しようと躍起になっていたのだ。投じられた予算も巨額だった。
北西航路を探した2隻は、スコットランドのオークニー諸島とグリーンランドに立ち寄った後、海峡、入り江、島をすり抜けて太平洋に到達するという希望を抱き、カナダの北極圏に向かった。1845年7月下旬、グリーンランドからカナダのバフィン島に渡るエレバス号とテラー号を捕鯨船が目撃している。これがヨーロッパ人による最後の目撃となり、その後の遠征隊の行方はわかっていなかった。
情報がないまま数年が過ぎた。捜索隊が派遣されたが、見つかったのは遺骨や遺物、人肉食の痕跡も報告されている。遠征隊が惨事に見舞われたのは明らかだった。ただ、どんな経緯で何があったのかまではわかっていない。
物語の一部が明らかになったのは、その後、メモが発見されたからだ。フランクリンに代わって指揮官となったフランシス・クロージャーの署名が入った1848年4月付のメモで、2隻が1年半にわたって氷に囲まれ身動きがとれなくなったこと、隊長のフランクリンを含む24人が死亡したこと、残った生存者はカナダ本土に上陸し、数百キロ先の毛皮貿易の拠点を目指す計画であったことが記されていた。しかし、目的地にたどり着いた者はいなかった。
万全の準備で臨んだ遠征が悲惨な結末を迎えた理由は、今もわからない。そんな中で、2014年と2016年に、パズルのピースが見つかる。まず、エレバス号がキング・ウィリアム島沖の海底で、その2年後、70キロほど離れた入り江でテラー号が発見されたのだ。しかもテラー号は、水深約25メートル地点に直立しており、ほぼ無傷の状態だった。
2隻が離れて沈む謎
2隻が離れて沈んだのはなぜか、どちらが先に沈没したのか、どういう状況で沈没したのか――考古学者はこれらの疑問に、答えを出したいと考えている。
「テラー号を調べた限り、沈没のはっきりした理由を示す痕跡は見当たりませんでした」とハリス氏は話す。「氷が衝突した形跡はありませんし、船体に穴は開いていません。ただし突然、短時間で沈んだようには見えます」
遺物が豊富に残されていても、答えを導き出すことは簡単なことではない。発掘計画はあるが、何年もかかるだろう。
「ダイビングの難易度が高いためです」とハリス氏は説明する。「水がとても冷たく、長く潜ることはできません。しかも、ダイビングできるシーズンも短く限られており、運が良くても数週間、運が悪いとチャンスは数日しかありません」
それでも、2019年のダイビングシーズンに行われた調査で糸口も見つかっている。こうして集められた事実が、遠征隊の悲劇の全貌を明らかにする手助けになるだろう。
「船のプロペラがまだ残っています」とハリス氏は話す。「このことは、氷による損傷を避けるため、冬の間、船を陸に揚げる仕組みがあったということです。また、プロペラが存在するということは、船は春か夏に沈没したのでしょう。天窓が板でふさがれていなかったことも、符合します。冬には雪が降りますから、天窓は保護していたはずですから」
船内を覆う堆積物の下に、もっと多くの答えが隠されているはずだと、ハリス氏は考えている。「いずれ物語の結末にたどり着くと確信しています」
(文 ROFF SMITH、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年9月8日付記事を再構成]
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