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ホンダエアクラフトカンパニーの本社にあるショールーム。ゲイリー・ピサノ教授(左)と藤野道格社長。(c)Honda Aircraft Company

ホンダエアクラフトカンパニーの本社にあるショールーム。ゲイリー・ピサノ教授(左)と藤野道格社長。(c)Honda Aircraft Company 

世界トップクラスの経営大学院、ハーバードビジネススクール。その教材には、日本企業や日本の事例が数多く登場する。取り上げられた企業も、グローバル企業からベンチャー企業、エンターテインメントビジネスまで幅広い。日本企業のどこが注目されているのか。作家・コンサルタントの佐藤智恵氏によるハーバードビジネススクール教授陣へのインタビューをシリーズで掲載する。今回はホンダジェットの開発物語を教材にしたゲイリー・ピサノ教授の2回目。イノベーションとホンダの企業文化の関係を読み解く。

<<(上)なぜホンダは航空機で成功できた ハーバード大の視点
(下)日本企業のイノベーションのカギは ハーバード大教授 >>

佐藤 ハーバードビジネススクールの教授の中には、「ホンダは典型的な日本企業ではない」と指摘する人もいます。なぜホンダは、「スーパーカブ」や「ホンダジェット」などの破壊的イノベーションを継続的に生み出せるのでしょうか。

ピサノ ホンダ特有の「新しいアイデアを常に試してみる社風」「イノベーションを何よりも重視する企業文化」だと思います。それは航空機事業への参入の過程を見ていてもよくわかります。

「5つ試して1つでもうまくいけばよい」とする社風

ハーバードビジネススクール教授 ゲイリー・ピサノ氏 (c)Evgenia Eliseeva for Harvard Business School

ハーバードビジネススクール教授 ゲイリー・ピサノ氏 (c)Evgenia Eliseeva for Harvard Business School

ホンダが航空機製造に関する研究を日米で本格的に始めたのは1986年。このとき埼玉県和光市にある本田技術研究所では、航空機、自動運転車、超軽量車、ロボティックス、生命科学の5つの分野が新規事業候補として並行して研究されていたそうです。この中には具体的に事業にならなかったものもありましたが、ホンダには、「5つ試して1つでもうまくいけばよい」とする社風があります。つまり、既存の事業以外の新規事業に挑戦しやすい土壌があったのです。

次に優秀な人材が「面白い」と思えるような事業に投資し、長期的な視点でリーダーを育成してきたことです。もし短期的な結果をすぐに求めるような経営陣だったら、ホンダジェットのような製品は生まれないでしょう。開発をリードした藤野氏も、航空機事業を続けられず、思う存分、才能を発揮できなかったかもしれません。私は、社員の能力を最大限に発揮してもらえるような場を提供することこそが経営者の大切な役割であると思っています。

佐藤 なぜホンダは創業者の夢を実現するのに、これほど長い時間がかかったのでしょうか。

ピサノ 1960~70年代は、自動車事業、オートバイ事業が急速に拡大していたので、他の事業に進出する余裕がなかったのだと思います。人、モノ、カネ、そして社員のエネルギーは、自動車と二輪車の製造と販売に注がれていました。自動車と二輪車が軌道に乗った80年代になって、ようやく航空機事業への参入を本格的に検討することになったのです。

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