料理研究家・きじまりゅうたさん 祖母と母の四十九光

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は料理研究家のきじまりゅうたさんだ。
――祖母が村上昭子さん、母が杵島直美さん。2代続けて家庭料理の研究家という家で育ちました。
「編集者やカメラマンが頻繁にやって来る、にぎやかな家でした。撮影用に1日20~30品つくるので、料理を囲んで毎晩のように宴会です。大人数でワイワイするのが自然な環境でした。父は普通のサラリーマンで僕は一人っ子。たまに家族4人で食事すると静かすぎるように感じて、緊張するほどでした」
「母が仕事中に台所に入ると邪魔者扱いされちゃうんですが、祖母は僕を手元に置きたがりました。祖母が僕をすごくほめるので、大人たちも一緒にほめてくれて。みんなたばこを吸って口が悪くて、でも優しい。学校で学ぶ道徳とは違う、大人の世界を目の当たりにしました」
――どうして料理の世界に入ったのですか。
「大学時代にアパレルの仕事を始めましたが、浮き沈みが激しいわけです。この先どうするか考えていた22歳の時、祖母が亡くなりました。お葬式で会った知人から『味覚とセンスはいいと祖母が僕を評していた』と聞きました」
「実は高校時代、料理でやっていきたいと祖母に話したら、家庭料理の世界は男がいないからダメだと言われていたんです。でもやっぱり料理じゃないか。そう気持ちが固まり、専門学校に通って調理師免許を取りました」
――お母さんの反応は。
「アシスタントをやらせてほしいとお願いしたら『いいよ』とあっさり。3年くらいして独立したい気持ちがふつふつとわいてきました。新世代の料理家が出てくるなか、早く自分の名前で勝負したかったのです。でも母からは『まだ早い』と止められました。おかげで自分の引き出しを増やすことができて、今につながっていると思います」
「祖母と母は仕事中、派手にケンカしていました。母と僕は親子でも異性だからでしょうか、衝突しないんです。お互い遠慮があるんですね」
――料理研究家として2人から受け継いでいることは。
「スーパーや商店街で買える一般的な食材を使い、家庭用のコンロでいかにおいしくつくるか。この家庭料理のキモは絶対に外しません。2人の名前も活用させてもらっています。母も祖母もですから七光どころか、2乗して四十九光ですね。もっとも、そうやって自己肯定できるようになったのは最近ですが」
「時代によって求められる料理家像は変わります。おふくろの味を残そうとした祖母。仕事に家事に忙しい人に、電子レンジや冷凍技術を用いた効率的な料理を提案する母。僕の世代は、男性も料理するのが一般的になりました。家庭料理の間口を広げ、家でご飯をつくる人をもっと増やすお手伝いをしたいと思っています」
[日本経済新聞夕刊2019年10月1日付]
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