早狩実紀さん 陸上一本、46歳現役アスリートの挑戦
2019年6月、陸上競技日本選手権女子3000メートル障害の予選で、最下位でゴールした選手に観客席から大きな声援が送られた。その選手とは約30年もの間、国内トップレベルで走り続ける早狩実紀さん(46歳)だ。
1990年の国体陸上女子3000メートルで日本高校記録を樹立し、大学に進学した91年に世界選手権東京大会に出場。卒業後は実業団などに所属し、五輪出場を目指した。
だが、20代後半に入ると記録もモチベーションも停滞する壁にぶち当たった。届きそうで届かない五輪の扉。「私はなぜ、まだ走っているのか」とふと立ち止まり、結婚や出産などライフイベントを迎えていく同世代の女性と自分を照らし合わせた。
一方、マラソン選手の高橋尚子さんや短距離選手の朝原宣治さんといった同級生が五輪で活躍する姿をテレビで見ながら、「自分にはまだ伸びしろがあるのに」と、「停滞の壁」にもがき苦しんだ。
1人でいると負のスパイラルに陥る。気分転換を兼ねて旅行に行ったり、陸上以外の世界にも友達の輪を広げたりした。そこで分かったのは、世界が違ってもみんな壁を乗り越えようともがいていること。目の前の霧が晴れるかのように、前を向いて練習に取り組めるようになった。
「今、走りたい!」の思いで44歳から陸上一本の人生に
そんな矢先、3000メートル障害が世界陸上の女子正式種目になり、32歳でチャレンジを決意。高さ76.2センチメートルのハードルを28回、水濠(ごう)を7回越える過酷な競技。
ケガもしやすく周囲に心配されたが、不安より新しい挑戦への楽しみのほうが強く、35歳で悲願の北京五輪代表の座をつかみ取る。「自分の気持ちが前に向くことを、選択し続けた結果だと思います」
2017年、大きな決断をした。長年勤めた学校職員を退職。指導者というセカンドキャリアも用意されていたが、「仕事と競技に中途半端に関わるより、今競技に専念したいという思いに正直になりたかった。想像できる未来より、何が起こるか分からないほうがワクワクします」
1年後、年齢に関係なく走り続ける彼女の姿に感銘を受け、応援したいという企業がスポンサーに名乗り出てくれた。
若い頃はタイムや順位が自分の価値だった。今は自分の走る姿が誰かの喜びや励みになることに、数字や結果と同等の価値を感じ、達成感に。決勝に残れなくても「日本選手権に出場できた自分、えらい」と思えるようになったという。
「10年前、46歳の自分が走っているとは想像できませんでした。10年後も想像がつかない。でも、『やりたい』と思える自分の気持ちに従っていれば、幸せに、機嫌よくやっていると思います」
Q1 大きなケガをしない秘訣は?
姿勢や歩き方、荷物の持ち方などを無意識に調整しながら日常生活を送っていると思います。また、30代からは、疲労回復のために質の良い睡眠を大事にし、自分に合った枕をつくっています。
Q2 休日の楽しみは?
アルバカーキから車で1時間ほどの露天風呂に入り、ハンモックで昼寝すること。日本の温泉に比べてやや温めで、ゆっくりつかれます。趣味は吹きガラス。日本にも米国にも通う工房があります。
Q3 最近読んで面白かった本は?
大学の1つ上の先輩、藤岡陽子さんの短編集『波風』(光文社)です。女性の行き方などが深く描かれていて引き込まれました。心が潤って元気になります!
1972年京都府生まれ。同志社大学卒業後、三和銀行、光華女子学園職員などを経て、プロアスリートとして米・ニューメキシコ州アルバカーキと京都を行き来しながら競技を継続。全国インターハイや国体で陸上競技3000メートル優勝。800メートルや1500メートルなどでも日本陸上競技選手権大会優勝。91年に世界陸上東京大会3000メートル出場。世界陸上大会の実施種目になった2005年から女子3000メートル障害に取り組み、35歳で9分33秒93の日本記録を出して北京五輪に出場した。18年世界マスターズ陸上2000メートル障害で世界新で優勝。
(構成・文 高島三幸、写真 西本武司=巻頭/水野浩志)
[日経ウーマン 2019年9月号の記事を再構成]
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