「『群像』新人賞をとったとき、授賞式に着て行ったオリーブ色のコットン・スーツ。スーツというものを持っていなかったので、青山のVANのショップに行ってバーゲンで買った。それに普段の白いスニーカーをはいて行った。」
村上春樹著「村上ラヂオ」には、そのように出ています。70年代の「青山」はVAN愛好家にとって特別な場所でありました。愛好家にとってのサンクチュアリーであったのです。青山三丁目。渋谷から赤坂に向かって歩いて行き、左に折れる。店が見えてくると、わくわくしたものです。
■37年ぶり会見で着ていたのもコットン・ジャケット
村上春樹は授賞式にスーツで行こうと思いついた。これはまあ、ふつうですね。でも、なぜそれがVANの、オリーブ色の、コットン・スーツになるのでしょうか。
VANのコットン・スーツ。それは70年代のエキスだったのです。70代の、青春の象徴。
少なくとも村上春樹は、VANのコットン・スーツを通して「青春」の匂いを嗅いでいるのです。「青春」は一人ひとり異なっているのかも知れません。ですが、村上春樹に学ぶべきは、ある強い「想い」を込めてそれを着ると、必ず自分のスーツになるということなのです。
2018年、彼は母校である早稲田大学に自らの原稿や蔵書、所蔵レコードなどの資料を寄贈すると発表しました。記者会見を開いたのは、37年ぶりといいます。
その会見の際の写真を見て私は驚きました。身につけているのはオリーブ色に似たコットンジャケットではありませんか。もちろん、79年のものとは違いますが。
「僕は今のところまだおなかも出ていないし、体重も大学時代と殆(ほとん)どかわりないし、髪もさいわいふさふさしている。元気が取り柄で、病気ひとつしたことがない。」
村上春樹著「村上朝日堂はいほー!」の中に、そのように書いています。体形を保っていつまでも、「青春」である「チノ・パンツ」や「コットン・スーツ」を着る。彼は意識して青春の象徴を着ているようにすら感じます。

服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。

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