本屋大賞で脚光 小野寺史宜、豊かさや幸せは自分次第
両親を失い大学も中退した20歳が、なけなしの55円でコロッケを買おうとするところから始まる『ひと』が、今年度本屋大賞2位に輝いた小野寺史宜。小野寺は、自身の環境や条件を自覚し、身の丈に合った幸せや周囲の人とのつながりを感じとる主人公を、細やかに軽やかに描く。
最新作『ライフ』は、2度の就職に失敗し、学生時代から住むアパートでコンビニのアルバイト暮らしを続ける20代半ばの青年・井川幹太が主人公。偶然再会した同級生、上の階に引っ越してきてドタバタ音を立てる男とその家族、バイト先の同僚、近所の高校生、病気の父を看取り2年後に再婚した母などとの交流が描かれる。
主人公が住む江戸川区"平井"は、ずっと気になっていた場所。「住宅地ですし、わざわざそこに行く人が少ない土地ですが、そこにしかない何かが、住んでいる人にはあるのではないかと思うんですね」
「ある程度狭い空間や時間のほうが、物語を生みやすい気がします。僕のほとんどの作品が一人称のみで書いているのは同じ感覚です。主人公が知らないことは書けないし制限は生まれますが、実社会も自分の目を通してしか世界を知りえない。読者も共感できるんじゃないかと思っています」
人とのつながりなど物質的ではない豊かさを求める感覚や社会との距離、仕事観など、今の若者と価値観が近いことも読者から共感を得ているゆえん。今作でもバイト生活を続ける幹太の焦りと安住感の間で揺れる気持ちが丁寧に描かれている。
「会社を辞めた人はこれまでも書いてきました。別の目標があるわけでもなく『辞める』ことは『人生で立ち止まってしまう』こと。一般的には良いとされていません。でも僕は『ひたすら前向きであれ』『やりたいことがなきゃダメ』という現在の風潮が必ずしもいいとは思えません」と、やや語気を強めながら心情を吐露する。
「仕事を辞めた経験は、僕にもあります。小説家を目指すために新卒で入った会社を24歳で辞め、秋葉原にワープロを買いに行きました。『よし、明日からスタートだ』と意気込んだのが、暗黒時代の始まりでしたね(笑)」
作家として芽が出るまで10年以上。小野寺は、小説、そしてシナリオと格闘し続けた。デビューして10余年、世に送り出した作品も20作以上ある。50歳を過ぎて本屋大賞2位と、ようやく大きく注目されるように。「僕はたまたまやりたいことがあったけれども、"やりたいことがなきゃいけない"空気が若者に刷り込まれる傾向は僕が若かった頃よりも強くなっています。そうじゃない人もいていいんです。豊かさや幸せって、結局は自分がどう感じられるかですよね。僕の考える豊かさの感覚が、実は今の時代の空気と波長が合うのかと思うようになってきました」
(日経エンタテインメント!8月号の記事を再構成 文/土田みき 写真/鈴木芳果)
[日経MJ2019年8月9日付]
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