カマドウマの心を操る寄生虫 ハリガネムシの謎に迫る
神戸大学 群集生態学 佐藤拓哉(1)
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宿主を操り、自らに都合のよい行動を取らせる寄生虫がいる。聞いただけで気持ち悪いが、そんな寄生虫であるハリガネムシと宿主の異常行動を、森と川の生態系の中に位置づけて研究し、次々と成果をあげている佐藤拓哉さんの研究フィールドに行ってみた!(文 川端裕人、写真 的野弘路)
寄生虫が宿主を操り、自らに都合のよい行動を取らせる。寄生虫による宿主の操作は、20世紀後半から大いに研究が進み、今や事例の枚挙にいとまがないほどだ。どうやら我々の住むこの世界では、普遍的な現象らしい。聞いただけで気持ち悪いが、受け入れざるをえない。
日本にいて、直接目に見える形で、身近にそれを実感することができるのは、おそらくハリガネムシではないかと思う。
例えば、本来、水辺に近づく必要がないはずのカマキリが、おなかをパンパンに膨らませて、川や池に近づいている時。そのまま観察していれば、カマキリは水に飛び込むだろう。ほどなく腹からは何10センチもあるハリガネのように細長い生き物がクネクネと身をよじらせながら出てくる。
ぼくもずいぶん前に、白昼、偶然にその瞬間を見てしまったことがある。同じ星の上の出来事とは思えないような、ぞわっとする体験だった。
そんな寄生虫のハリガネムシと、寄生された宿主、特にバッタの仲間であるカマドウマの飛び込み行動を、森と川の生態系の中に位置づけて研究する新進の生態学者がいる。神戸大学の佐藤拓哉准教授(理学研究科生物専攻)だ。
連絡を取ったところ、「僕の研究室はフィールドです。この季節(10月)なら、フルコースをお見せできると思いますので是非」とのこと。この場合、フルコースとは……
前菜・カマドウマ、主菜・ハリガネムシ、デザート・渓流魚。といったところ。
奇妙な取り合わせだが、森と川をつなぐ研究なのだから、こういうのもアリだ。ぼく自身、心躍るものがあり、佐藤さんが最寄りのフィールドとして通っている京都大学の研究林を訪ねることになった。
夜10時過ぎにJR京都駅外の駐車場で待ち合わせ。
出迎えてくれた佐藤さんのジムニーを追いかけて、レンタカーでひたすら北上する。鞍馬天狗や牛若丸で有名な鞍馬山の裾野を越えてさらに行くと、街灯もほとんどない峠道をひたすら走ることになる。地図上ではもうすぐ若狭湾ではというところまで来て、目的地である京都大学の「芦生研究林」の看板が見えた。時刻は午前0時。京都駅を出てから2時間が過ぎていた。
宿泊棟に入ってまずは一安心、と思ったところ、佐藤さんは学生さんたちと一緒に「カマドウマのトラップを仕掛けに出かけます」という。これはついていくしかない。
敷地にトロッコの軌道があり、軌道が通る橋をわたったすぐ先の川縁がトラップのポイントだ。仕掛けは、2リットルペットボトルの容器を途中で切断し、注ぎ口を反転させたもの。中にはカルピス原液とビールを混ぜた濃厚な液体を微量入れておく。佐藤さん秘伝のカマドウマを誘引する魔法のレシピだ。
「多い時には、2日放置すると20匹くらい入りますかね。ペットボトルの口が滑りやすいせいか、ほかのものが入らないのでいいんです」
実は、カマドウマはトラップを設置する時点でも、周囲にぴょんぴょん跳ねていた。
「夜行性の昆虫なんで、ずいぶん出てきてます。お、大きい、捕まえて!」
カマドウマは素早い。おまけに、どっちに動くのかなかなか読めない。そんな中で、佐藤さんや学生さんは、さすがに慣れたもので、見事に捕獲する。むっちりした体と長い脚をもった成体や、この秋にふ化したばかりらしい子どもを何匹か見せてくれた。
「いや、実は僕、カマドウマ、苦手なんですよね。でも、研究ですから。みなさん、大丈夫ですか。見るのも嫌やという人もいるので」
佐藤さんはそう言うのだが、実はぼくは、カマドウマは苦手ではない。かなり格好良いとすら思っている。そのように述べると、「本当ですか!」と珍しがられた。佐藤さんが研究でカマドウマとつきあい始めて以降、周囲の反応を見る限り、こういうのは希だそうだ。
「すごい気持ち悪いと言われる人が多いと思います。多分、普通のバッタに比べて足がやたら長すぎて、そのくせ羽がなくて、その分、ジャンプ力がすごいあって、予測不能な動きするからやとか。ゴキブリみたいにちょっと何か体ツヤツヤしてるというか、ヌルヌルしてるというか。今大学の研究室でも飼っていますが、他の教員でも学生でも、来客はすべからく嫌そうな顔してます(笑)」
そうなのか……。
たしかに、漢字で竈馬と書くと趣があるが、別名便所コオロギともいう。てらっとしてむっちりした体。無意味になまめかしい長い後脚。こいつがさささっと家の中に入ってきたりすると、ゴキブリに近いような不快感を抱く人がいても不思議ではない。というわけで、この時点で、うぎゃーと思った人にはごめんなさい。
しかし、今回のフルコースの前菜はまさに、カマドウマである。遠慮せずに質問しなければならない。まず、生物学的にいって、どういう素性の生き物なのか。そこから理解していかないと、今回のお題である寄生虫による行動操作や、それが森と川の生態系の中で持つ意味までたどり着けないのである。
「キリギリスの仲間に近い、カマドウマ科というのがちゃんとありまして、日本でも70種以上はいるんです。この研究林にいるのは、マダラカマドウマ、モリズミウマ、コノシタウマといったあたりだと思っています。森の中でじめじめしたところで暮らしていて、なにかの死肉ですとか、有機物なら何でも食べるような生き方ですね。
デトリタス食者、日本語としては、腐肉食者などと言います。昔、家にかまどがあった頃は、ああいう炊事場のじめじめしたところで、しかも残飯なんかがあるわけですから、そこに夜な夜なやってきて食べたりしていたわけです。それで、ちょっと馬に似たかんじもする形なので、カマドウマやと」
今、カマドウマが出る家屋は、都市部では昔に比べると少なくなったかもしれない。それでも、ちょっとした雑木林でもあれば、普通にいる。つい何年か前にも、子どもと一緒に夜の雑木林へカブトムシを採りにいって、共食いしているのを見たっけ。食われている方もまだ生きていて残酷だなあと思ったのだが、襲って食べたというより弱っているのを利用可能な有機物として粛々と食べていたということのようだ。
それでは、カマドウマの生活史はどんなふうだろう。
「寿命は2~3年と言われています。実際、いつ生まれて、どのスケジュールで成長してるのか、未解明なところがあります。少なくとも秋口になると、途端に小さいやつが出てくるので、そこから小さいまま越冬して、春先からたくさんのエサを食べて成長して、もう1年かかって多分成虫になるんじゃないかなというようなイメージですね。もっとも、昆虫は成長に結構いろいろバリエーションがあるので、地域によっても違ってるんじゃないかなと」
以上、カマドウマについての最低限の理解が得られたと思う。
このカマドウマが森林の生態系に非常に大きな役割を果たしているというのが、佐藤さんの研究成果だ。詳しくはまた後でこってり教えてもらうが、この時点でひとつだけ押さえておきたいのは、その「大きな役割」が、実は「決定的な役割」でもあることだ。
「僕が研究してきた森では、渓流のサケ科の魚が年間に得る総エネルギー量の6割くらいをカマドウマを食べて得ていたんです。本州でカマドウマが、行動を操作されて川に飛び込む時期は、秋の3カ月くらいなんですが、その間に1年の6割のエネルギーを得てしまうという」
なかなか定量的な測定が難しいものを、綿密な観察を行ってきちんと推定した。国際的にもインパクトがある研究で、最近注目されている新興分野、生態系寄生虫学の教科書でも、寄生虫による行動操作が生態系に与える決定的な役割の例として挙げられているそうだ。
そして、カマドウマを操って川に飛び込ませるのが、寄生虫のハリガネムシ、なのである。
(2014年10月 ナショナルジオグラフィック日本版サイトから転載)
1979年、大阪府生まれ。神戸大学理学部生物学科および大学院理学研究科生物学専攻生物多様性講座准教授。博士(学術)。在来サケ科魚類の保全生態学および寄生者が紡ぐ森林-河川生態系の相互作用が主な研究テーマ。2002年、近畿大学農学部水産学科卒業。2007年、三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程修了。以後、三重大学大学院生物資源学研究科非常勤研究職員、奈良女子大学共生科学研究センター、京都大学フィールド科学教育センター日本学術振興会特別研究員(SPD)、京都大学白眉センター特定助教、ブリティッシュコロンビア大学森林学客員教授を経て、2013年6月より現職。日本生態学会「宮地賞」をはじめ、「四手井綱英記念賞」、「笹川科学研究奨励賞」、「信州フィールド科学賞」などを受賞している。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。
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