歌手・横山剣さん 生き抜く力、破天荒な父から
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はクレイジーケンバンドのリーダーで歌手の横山剣さんだ。
――音楽の世界に進んだのは昨年亡くなった実のお父様の影響が大きかったとか。
「小学2年生のころに両親が離婚して、母親に引き取られましたが、その後も実父とは時々会っていました。父は黒人音楽やソウルが好きで、父が再婚した女性もリズム&ブルースの大ファン。2人はジェームス・ブラウンなどをよく聞いていました。その影響で、ロックをあまり聞かずに育ちましたね」
「父は美大を出て絵描きを志しましたが、それでは飯が食えないから、音楽関係の販促グッズを売る会社を経営していました。精神的に自由でプレイボーイでおしゃれ。酒を一滴も飲めないのに銀座でよく遊んでいました」
――どこか世間離れした雰囲気ですね。
「銀幕の大スター、勝新太郎さんのような破天荒な性格でした。長屋住まいなのに、お手伝いがいて、運転手付きの高級車に乗っている。どこかとんちんかんなんです。いつもボルサリーノの帽子を小粋にかぶり、オーダーメードのスーツできめていました」
――剣さんは中学3年生で、実際に曲をつくって音楽業界に売り込んだとか。
「小学生のときから作曲家になるのが夢で、レーサーでもあった三保敬太郎さんにあこがれました。シャバダバ~で有名な深夜番組『11PM』のテーマ曲を作った方です。中学生になってデモテープを自作したのですが、どうしたらいいか分からず、父の会社に相談に行きました」
「父は知り合いの音楽業界の人の名刺を出して、『会いに行ってこい』と言いました。僕は芸能界のことなんかまるきり知らなくて、レコード会社や広告代理店の社員にならなければいけないものとばかり思っていました。だから『曲だけ作ればいいんだよ』とアドバイスを受けた時は気持ちが少し楽になりました。これが直接、デビューにつながることはなかったけれど、父が音楽業界に対するハードルを低くしてくれたことに感謝しています」
――お父様との一番の思い出は海外旅行だそうですね。
「父と2人で3~4回行きました。滞在先の韓国で、『自転車に乗って好きなところに行け』と言われたことがあります。見知らぬ街で尻込みする僕に、父は『迷った時は自分の中でアラームが自然に鳴るから大丈夫』と言うだけ。案の定、道に迷いました。でも覚悟を決めて勘頼みでさまよっていたら、無事戻ることができました」
「一事が万事こんな調子。基本的に放任主義ですが、質問すれば答えてくれる。そのときは言っている意味が分からないけれど、後で『ああ、こういうことか』とふに落ちることがある。親としてより、人間として父を見ていました。その生き方から無意識に学んでいたんでしょうね」
[日本経済新聞夕刊2019年7月23日付]
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