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私のリーダー論

経営はゴールのない駅伝 創業者からのタスキをつなぐ キユーピー 長南収社長(下)

2019/7/18

――ご自身のキャリアの原点は何ですか。

「新人で工場に配属された後、入社6年目で初めて営業本部に異動になりました。このときは嫌で嫌で、涙が出ました。もともと人前で話すのが苦手で、入社するときも工場勤務を希望していました。異動が決まったのは結婚もして、生産現場での仕事にも自信が出てきたころでしたから。後から聞いた話なのですが、私が勤務していた仙川工場(東京都調布市)は主要拠点でしたので、本社の人が度々訪れていて、その際のやり取りが気に入られたそうです。当時、営業本部ではマーケティング室の充実が課題となっていて、生産現場の視点を取り込もうと白羽の矢が立ったようです」

■初めて営業で流通大手を担当

「マーケティング室で2年間、商品開発などの仕事を担当した後、初めて営業の現場に出ることになりました。異動先は商都大阪です。当時、昭和60年(1985年)前後は、ダイエーや西友などに代表される総合スーパー(GMS)の最盛期。すでに中堅となっていた私は流通大手を担当することになりました。初めての営業職で、いきなり大手担当ということで、かなりきつかったです。営業用語も知りませんし、商談もしたことがありません。半年間は全く数字になりませんでした。夜中に怖くなって汗をかき、目が覚める日々でした」

――どのように挽回したのですか。

「私は不器用です。逃げずに正面突破するだけでした。朝7時には家を出て、開店前の取引先の店舗で商品の陳列を直したり、並べ方を工夫したりしました。閉店後も同じことをして、とにかくよく働きました。3カ月も続けていると、その店舗の統括マネジャーが声をかけてくれました。『毎日来てくれるのはいいけれど、数字はうまくいってないんじゃないの』と」

■努力を見てくれている人がいた

「『企画書を持っておいで』と言ってくれたので、提案したところ、催事場を1週間任せてくれました。結果がよかったので翌週も続けさせてくれました。その統括マネジャーが全40店舗に声をかけてくれて、企画書を持って各店舗を回るように勧めてくれました。そうしたら全店舗の売り場で商品を置いてくれるようになりました。見てくれている人はいたのです。それが突破口になり、自信を持てるようになりました。本当に鍛えられました。大阪での4年間は10年間に値すると思っています」

――営業の経験から何を学びましたか。

「大阪の営業課長時代に、異動する後輩に必ず言っていたことがあります。『地を知り、人を知り、商売をしろ』ということです。土地の歴史を知ると、食文化が見えてきます。人を知ると、情報が入ってきて人脈ができます。そのうえで商売をするのです。順番を間違えてはいけません。ついつい目先の商売から入る人が多いですが、薄っぺらな関係で終わってしまいます」

キユーピータイにて(左端が本人、当時は57歳)

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