歌手きゃりーぱみゅぱみゅのデビュー時の美術を手掛け、一躍有名になったアートディレクターの増田セバスチャン氏。原宿のKAWAII文化の伝道師として華やかなイメージがあるが、若い頃は「レールから外れた」人生を送ってきたという。その間にどんな葛藤があったのか――。U22記者と早稲田大学理工学術院の大森正也さん、法政大学キャリアデザイン学部の坂田菜摘さんがインタビューした。
2011年、常連客だったきゃりーぱみゅぱみゅのリクエストで増田氏がデビュー曲のミュージックビデオの美術演出を担当。その動画が1億回再生され、世界的にも注目されるアートディレクターに。それ以前から原宿のKAWAII文化を伝えるワールドツアーを展開するなど海外でも活動し、17年には文化庁文化交流使に選ばれた。
「普通」に憧れて悩んだ20歳の頃
――(坂田)私は高校を中退してから社会の外側の人間だというコンプレックスがずっとあって、それを解消したいと思って大学に入り直しました。増田さんは一度「ドロップアウト」したにもかかわらず、今はなぜNPOを立ち上げるなど、社会に積極的に関わっていこうと思えるようになったのですか。
日本社会での「普通」って例えて言うと、サザエさん一家のような生活。生き方は人それぞれのはずだけど、なにか「正解」じゃないと人生はだめだというふうに思い込まされていて、それをぬぐい去るまでが大変だった。今でもまだ葛藤はあるよ。
ぬぐい去れたというよりは、どうしても自分の内側にある衝動みたいなものが抑えきれなかったという感じかな。何度も「普通」に憧れてそっちのレールに行こうとするんだけど、自分は何のために生まれて、何を表現したいんだと思い直して自分の道に戻る、その繰り返し。
18~20歳ぐらいの頃が人生で一番悩んでた。高校では勉強もあまり楽しくなくて、地元の友達にもなじめず、逃げるように原宿に通ってた。その仲間にはちょっと悪い子もいて、縁を切りたくて高校卒業後は大阪に行きました。心機一転、まずバイトを始めたら、自分は大阪弁を話せないから「なにすかしとんねん」というようなことを言われて怖くなってしまって、ひきこもっちゃったんです。毎日やることがない、お金もクーラーもないから、夏は図書館へ通っていました。
文学からビジネス書まで100冊以上の本を読みながら、ずっと自分の将来を考えていました。大学に行って就職すれば「普通」の人生が送れたのに、自分はドロップアウトしてしまったのでもう未来がないかもしれない、と絶望していたのが20歳ぐらい。