ドーナツの聖地ロサンゼルス 移民が育んだ甘い誘惑
米国ロサンゼルスの食といえば、何を思い浮かべるだろうか? ケールサラダやアサイーボウルといったヘルシー食も人気だが、実はロサンゼルスはドーナツ好きの聖地。個人経営のドーナツ店が1500近くもあり、たっぷりの油で揚げたおいしいドーナツがあちこちで提供されている。
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ロサンゼルスが米国のドーナツ文化の中心地となったのは1970年代のことだ。カンボジア移民のテッド・ノイさんはカリフォルニア州にやって来ると、自身のドーナツ店をオープンした後、祖国の混乱を逃れてやってきた仲間の難民たちがそれぞれの菓子店をつくるのを支援した。今ではロサンゼルスのドーナツシーンの象徴にもなっているピンク色の箱に、ドーナツを入れたのはノイさんが最初だ。
ノイさんの遺産は現在まで受け継がれている。今でも、多くのドーナツ店のオーナーは、カンボジア系米国人だ。
「ドーナツ店はカンボジア人にとって、米国での成功をかなえてくれるものでした。チャンスをつかむための鍵でした」と、サンタモニカで約40年続く家族経営の店、DK'sドーナツのオーナー兼CEOであるメイリー・タオさんは語る。「ドーナツはコミュニティーを一つにしてくれます。国境や人種の違いも、それを壊すことはできません」
DK'sドーナツの商品は信じられないほど多彩だ。フィリピンの紫イモ、ウベ味のドーナツから赤いベルベットを思わせるワッフルドーナツまで、120種類もの商品が販売されている。ブリンキーズ・ドーナツ・エンポリアムはカンボジア系米国人の父と娘が経営する店で、毎日手づくりのドーナツを提供し、正午に店を閉めている。そのため、古くなってしまったドーナツが売られるようなことはない。
30年前にオープンしたドーナツ・シティーは、1979年に南カリフォルニアに移住したカンボジア人夫婦ジョン・チャーンさんとステラ・チャーンさんが営む。コミュニティにとても愛されている店で、ステラさんが病気になったときには、ジョンさんがそばにいられるよう、毎日、地元の人々が早い時間に商品を買い占めた。ドーナツが良い食べ物である証拠だ。
ロサンゼルスの人々と同様、ロサンゼルスのドーナツ文化も進化している。シロップでコーティングしたグレーズドドーナツだけでなく、グルテンフリー、ジャム入り、クッキーバター入りなどが生まれている。最先端のドーナツを食べられる街、それがロサンゼルスだ。
この土地と関係の深いメキシコの味を取り入れるドーナツ店も登場している。ドナスのドーナツは、中南米の料理と大量の砂糖を組み合わせたものだ。この店のメープルベーコンドーナツには、ベーコンの代わりにチチャロン(豚の皮を油で揚げたもの)がのっているし、メキシコのフルーツサラダ「ビオニコ」をまねたドーナツもある。さらに、オルチャータ(スペインやメキシコで一般的な飲料)、トレスレチェ(牛乳を使ったケーキ)、ナチョスもドーナツになっている。
ドーナツを丸ごとカスタマイズしたいなら、ドーナツ・フレンドがいい。ピーナッツバターがつまった「バナナ・キル」、抹茶コーティングした「グリーン・ティーガン・アンド・サラ」といった独特のドーナツを食べられるほか、ラズベリーハバネロジャムやバルサミコシロップ、餅などを組み合わせて自分好みのドーナツをつくることもできる。
ただし、すべてのドーナツがフルーティー・ペブルス(フルーツ味のシリアル)や砕いたオレオのような装飾を必要としているわけではない。ルート66でドライブをするならぜひ立ち寄りたい店、ドーナツ・マンでは、定番のグレーズドドーナツに地元産のイチゴやモモなど季節に合わせたフルーツをたっぷり挟んだ商品を販売している。
カンボジア系米国人のコミュニティーのおかげで進化したロサンゼルスのドーナツ文化。聖地巡礼の価値は十分ある。この街では、ドーナツは本物のスターだ。
次ページでも、ドーナツを愛するロスの人々を写真で紹介しよう。
(文 HANNAH SHEINBERG、写真 THEO STROOMER、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年6月7日付記事を再構成]
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