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女優・波乃久里子さん 「七光は幸せ」愚痴戒めた父

2019/6/28 日本経済新聞 夕刊

1945年神奈川県生まれ。50年父・17世中村勘三郎の襲名披露公演で初舞台。62年劇団新派に入団、初代水谷八重子に師事。8月3~17日「京都都大路謎の花くらべ」(東京・新橋演舞場)に出演。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の波乃久里子さんだ。

――亡くなられたお父さんは歌舞伎俳優で人間国宝の十七代目中村勘三郎さん。かなり甘やかされたとか。

「もう物心ついたときから大甘です。歌舞伎の舞台稽古でも、大勢のお弟子さんたちの前で『お姉ちゃんくらい良い女優はいませんよ』とほめるんです。誰も『違います』とは言えませんよ。松竹の社長にまで言っていました。少しでも親バカを見抜けた私でよかったと思います」

「ところが弟(故・十八代目中村勘三郎)にはめちゃくちゃ厳しい。稽古でも『何だ、あの間は! お姉ちゃんの間を練習しなさい』と。弟の方ができているんですよ。勉強熱心な弟は夜中の2時ごろまで家で稽古していました。それなのに『うるさいな』と言う。私が同じことをしたら褒めていたでしょう」

――お母さんはいかがでしたか。

「父とは反対に母はとても厳しかったです。朝の4時ごろまででも稽古して、できていないと『おみおつけで顔を洗っていらっしゃい!』と怒られる。本番でも休憩中にやってきて『今日はお客様がかわいそう。お弁当をつけてお金を返して差し上げたい』と泣くんです。終わった後、父からは『今日はめっぽう良かったね』と言われました」

――長じて女優の道を選んだ時、お父さんは何と?

「『やるなら一生やれ』でした。それから『親の七光があるのは幸せなことだから、愚痴は言うな』とも言われました。劇団新派に入ったばかりの頃、いじめられて、泣きながら父に訴えました。肩を持ってくれるかと思ったら『おまえがいじめているんだ』と返されました。良い役がついて看板にも名前が出るんだから、と。『親の七光があるから一生、幸せそうな顔をしていないといけないんだ』と感じましたね」

――お父さんに厳しいことを言われた思い出は。

「あるとき、私の師匠の水谷八重子先生が書いた本を父が持ってきて『久里子のことを書いているよ』と教えてくれました。『パパの子だから先生もお世辞を使ったのよ』と答えたら、コタツを蹴って『おまえは根性が曲がってる、師匠まで疑うのか』と。『パパには分かんないのよ』と負けませんでしたが……」

「芸事以外では厳しいところもありました。お手伝いさんにも決して『お嬢ちゃん』と呼ばせなかった。みんな家に帰ればそこのお嬢ちゃんなんだから、と。お手伝いさんに食事を用意してもらうときも、私が『お願いします』と言わないと怒られましたね」

――ご両親を思い出すことは?

「もう毎日ですね。何か伝えようとして『あ、死んだんだ』と。弟もそうなんです。『そうだ。後で電話しよう』と思った後、死んだと思い出す。泣いちゃいますね」

[日本経済新聞夕刊2019年6月25日付]

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