地方公演でのサプライズ 念願の夢かなう(井上芳雄)
第43回
井上芳雄です。4月は『十二番目の天使』の公演で全国8都市を回ってきました。地方公演がこれだけ多い作品も久しぶりです。初めて訪れた土地もあり、新鮮でした。劇場の大きさが各地で違うのに対応して、どんなお芝居をするかは地方公演の醍醐味。お客さまの喜ぶ姿に、演じることの原点をあらためてかみしめました。
ミュージカルだと東京、愛知、大阪、福岡の4都市での公演が多いのですが、『十二番目の天使』はセリフだけのストレートプレイで小規模な作品なので、多くの都市を回ることができました。1カ月かけて8都市というのは、最近の地方公演ではとても多い回数で、僕自身にとってもずいぶん久しぶりのツアー。僕たちキャストは前日に入って、公演して、東京に戻れるときはいったん戻り、また次の公演地に向かうという生活でした。
訪れたのは新潟、石川、茨城、香川、福岡、福井、愛知、兵庫の8カ所。茨城、香川、福井は初めての公演地です。香川では、こんなことがありました。僕は育ったのが福岡なので福岡出身と言っていますが、実は香川の生まれです。3歳くらいまでいました。なので、いつか公演に行って、「香川で生まれました」と言うのが夢だと、ずっとネタのように言っていたのが、やっとかなう日が来ました。
いつもはカーテンコールでしゃべったりしないのですが、その日はプロデューサーに「一言言ってもいいですか」とおことわりして。お客さまに向かって、「きょうはありがとうございます。実は、僕は香川の生まれなんです。ずっと言いたかった一言があって…」と話して、大きな声で「ただいま」と言ったら、お客さまも驚いて、ウォーッと盛り上がりました。四国は以前、高知に公演に行って以来2回目。そのくらい、なかなか行けなかった場所だったので、うれしかったですね。もっとも、その翌々日は福岡だったので、また「ただいま」と言ったのですけど(笑)。そんな、ご当地ならではのサプライズもありました。
地方公演の難しいところは、劇場の大きさがまちまちなことです。東京で上演した日比谷シアタークリエは600席くらいですが、地方の劇場では一番少ないサイズではないでしょうか。中規模の劇場は採算をとりにくいので、どうしても大きくなりがちです。香川は2000席くらいの大劇場でした。逆に茨城は300席くらいの小劇場で、お客さまとすごく近い距離でした。
造りやキャパシティーといった劇場の制約があるので、東京でやっているのとは違う形でお芝居をお届けすることになります。声の出し方や動きの見せ方も変わってくるし、そこは逆に地方公演の面白さだと思っています。ただ声を大きくしたり、動きを大きくすればいいというものでもないから、届くと信じてやるしかないのですけど。
そうやって劇場に合わせてお芝居をするのは難しい一方で、純粋にお芝居を見せるためにその地に来たと感じられて、新鮮な気持ちになれます。東京にいると、劇評でどう書かれるのだろうとか、周りからの評価がどうしても気になります。でも地方に行くと、その土地で生活している人たちに、生活の一部としてお芝居を楽しんでいただきたい、という演劇本来の姿が見えやすくなるように感じます。渦中を離れてこそ、物事の本質が見えるということかもしれませんね。
どういうお芝居を見せられるか
以前は地方公演に行くと、自分は知名度がまだ全然ないなとか、やっぱりテレビに出てないとだめなのかな、とよく思っていました。最近は、例えばNHKの歌番組『うたコン』に出ているのを、「見ています」と言われることが増えて、地方でも知ってくれている人が増えてきたとは感じます。でも、本当に大事なのはそういうことではない。どういうお芝居を見せられるか、が僕の仕事なのだから、と今は思っています。
今回は、どの劇場も最後はスタンディングオベーションで、反応がすごくよかったのがうれしいことでした。劇場に行くまでの道のりは田んぼが続いていて、本当にお客さまが来るのかなと思うような場所でも、当日はちゃんと客席が埋まって、お芝居を楽しみに来られている。それで喜んだり、感動したりしてもらえているのが伝わってきて、僕たちの仕事の原点をあらためて思い起こさせてくれました。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP社)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第44回は5月18日(土)の予定です。
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