スガシカオ、曲作りのため徒歩通勤 iPadに鼻歌録音

時に痛みを伴う大人のリアルを描いた歌詞をキャッチーな旋律に乗せて歌う、シンガーソングライター、スガシカオさん。極上のポップミュージックは、作家・村上春樹氏を初めとする耳の肥えた音楽ファンを魅了し続けている。
そんなスガさんが、3年ぶりとなる11枚目のアルバム「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」をリリースした。「自己の内側を深く掘り下げてきた前作までとは違い、誰かに寄り添える作品になった」と胸を張る。本作の楽曲制作の傍らにはいつも、アップルのタブレットiPadがあったという。
iPadに鼻歌を吹き込んで曲を作っています

このiPad Pro 11インチ(第3世代)は18年の秋から冬頃に手に入れたもの。Proとしては2台目で、iPad自体は第1世代からminiも含め全部で8台所有してます(笑)。
今や音楽に関わることの8割くらいは、このiPadでやってるんじゃないかな。ライブリハーサルなどの譜面もこれに入れてます。ギターのフットペダルみたいに、足で踏んでページをめくれるデバイスもあるからストレスもない。ステージでも同様に使ってます。
2年前にkōkua[注]としてアルバム『Progress』を作った頃からiPadメインの制作になったんですが、そのときは歌詞を入力した後に新しいアイデアが浮かぶとそれを上書きしちゃってたんですよ。紙に書き留めていたときのように新旧の案を比べたいと思っても、時すでに遅しで……。なので、今作はコピペなどで古い案も残しつつ、新しい歌詞を書くようにしました。辞書もお役立ち機能ですね。「これ、他の言い回しないかな」と思ったときに「関連用語辞典」を眺めていると、「ああ、そういう言い方もするな」って気づきにつながるんです。
[注]NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の主題歌「Progress」の制作をきっかけに作られたスーパーバンド
曲作りにはギターも使いますが、iPadがないと始まらない。メロディーが浮かぶとすぐに簡易レコーダーを立ち上げて鼻歌で吹き込むんですが、このiPad Proになってから、使い勝手がさらに良くなったと感じています。僕はアイデアを片っ端から吹き込んで、出尽くした後にキュッと曲にまとめるので、1つの曲に対してファイルが300くらい溜まってたんですよ。メロディーの続きが浮かんでも、元のメロディーを探すのが大変で作る気持ちが萎えちゃうことも。でも、今のはファイルの続きから録音できたり、聞き返して編集したりもできる。おかげで作業効率がぐっと上がりました。

レコーダー以外のいろんなツールも進化していますね。リズムボックス機能は、以前はおもちゃみたいな音だけでしたが、今は最新のリズムパターンなんかが入っいる。それをなんとなしに聴いていて、ギターのフレーズが浮かぶこともありますね。
とはいえ、煮詰まることはあります。僕は机に向かってるより、車に乗ったり歩いている時にアイデアが降ってくることが多い。締め切りがどんどん迫ってくると、このiPad Proをカバンに入れてとにかく歩く。そして、浮かんだらすぐに記録するを繰り返します。自宅と作業場の距離がちょうど10キロなので、少なくともその距離を2時間以上かけて歩くし、往復して20キロを歩くこともありますね。それで何もでてこないときは、ひどい気分になるし疲労感も倍増しますが(笑)。

iPhoneでも、録音や歌詞の入力はできますが、視覚的にちょっと物足りないというか。画面が小さすぎてクリエーティブな気分にならないんですよ。画面が大きい方がよりイマジネーションが広がるかなと思って、大きい方のiPad Proも購入しましたがカバンに入らなくて(笑)。ノート大のこのサイズが僕には丁度いいんですよね。
新作「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」は、スタートのアイデア出しから歌詞まで、ほぼこの1台で作りました。正直、出だしはかなりつまずきましたね。これまでずっと自分と対峙して、ストイックに内側を掘り下げ、深く傷つくような歌詞も書いてきました。前作「THE LAST」は特にそれが強い作品だったので、そこから抜け出すのは大変でしたね。
でも、あるときふと聴いてくれる誰かを想い浮かべた。それは今までになかったことで、「作り手が疲れる曲はきっと聴く方も疲れるんだろうな」と思ったんです。仕事終わりに疲れた帰り道で聴くのは、内側をえぐられるようなものじゃなく、もう少し寄り添う曲でいいのかなと。そこから、「電車の中で聴いたらどう感じるだろう」ってイメージが湧いて、「スターマイン」という曲が生まれました。この曲が流れる3分間だけ、花火が夜空に上がる(幻想的な)その世界に連れて行ってもらえるような曲になったと思います。アルバムに収録されている「遠い夜明け」も、そんな頑張って働く人に向けた曲ですね。

アルバムタイトル「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」は、これまで気取った英単語のタイトルが多かったのですが、ありがたいことに好意的な反響をたくさんいただいています。
面白いもので、もしこれが安直に「働きたくない」だったら、そこまで共感は得られなかったんじゃないかなと。ただの中二病みたいな、自堕落な人間に見えちゃうから(笑)。でも、「労働なんかしないで」からは、働かなきゃならない現実を知って、ちゃんと理解していることが伝わる。だから、せめて光合成で生きていけないものだろうかというオチが映える(笑)。「実際には働いてるんだけどね」が隠れてるのがミソなんです。
この曲には「ソシャゲ」のような時代感が強いワードも入ってますが、言葉にははやり廃りがあり廃れちゃうならそれでいいと僕は思ってるんです。デビューした当時はiPadもなく、ガラケーが主体。かつて「ケータイをパタンと閉じて」と書いたとしたら、それはガラケーを指していた。けど、昨今は二つ折りスマホが出てきたから、最新型のスマホを指す表現になるかもしれない。そんなめまぐるしくツールが変わる時代に、エバーグリーンな歌詞を書くのはシンガーソングライターとして無理だなって。僕は結構時代に対して開き直りはあるから、あえて時代の言葉は入れるようにしています。
キャリアを重ねてくると、「気づかない」才能も重要だなと感じるようになりました。これまで180曲くらい世に送り出してきましたが、「あの曲のコード進行に似てる」と気付いた時点で自分に飽きて、創る意欲を削がれる。僕は曲を作れても譜面が読めないから、すぐに気づけないことが今となっては幸運でしたね。もし仮に、似たようなパターンの曲であっても、気づかなければ友達やスタッフ、ファンに対して「めっちゃいい曲ができたんだよね」って生き生きした目で言えるんです。それは僕の曲作りにはすごく大事なこと。自分が「いい曲」と信じられる曲を、iPadを相棒にこれからも作り発信し続けたいですね。

1966年生まれ、東京都出身。サラリーマンを経て、1997年にシングル「ヒットチャートを駆け抜けろ」でデビュー。19年1月期ドラマ「よつば銀行 原島浩美がモノ申す!~この女に賭けろ~」の主題歌「遠い夜明け」を担当し、ドラマにもゲスト出演した。同曲を含む11thアルバム「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」を4月17日にリリース。4月27日、神奈川県厚木市文化会館を皮切りに全国13都市を巡る「SUGA SHIKAO HALL TOUR 2019」がスタートする。
(文 橘川有子、写真 藤本和史)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。