――ただ、「改革しよう」の掛け声一つでは、組織はまとまりませんよね。
「当初から私の考えに賛成をしてくれていた教職員は、全体のせいぜい2割程度ではないでしょうか。6割は様子見、2割は大反対。『女性にキャリア教育なんて必要ない。結婚という永久就職があるじゃないか』という声は根強かったですよ」
――どうやって説得したのですか。
「反対派の説得に労力をかけるより先に、2割の賛成派と連携して小さな実績を積み上げることから始めました。大学経営にも公務員にも共通する点は『世のため、人のため』の追求を避けて通れないことです。社会から求められているものが変化しているのであって、私は過去を否定したわけではありません。リーダーは変化を見極め、道を選び取る必要がある。その正しさは、結果という根拠をもって示すしかないと考えました」
正しさを結果という根拠をもって示す
「その初めの一歩としたのが、認証保育所『昭和ナースリー』の設立です。大学の所在地である世田谷区は当時、待機児童問題が深刻でしたから、まずその課題に取り組みました。本丸の教育改革ではなく、あえて『それ以外』から手をつけたのも、私なりの戦略でしたね」
「NPO法人を設立し、開園にこぎつけたのが06年。私はかつて小泉政権時代に内閣府男女共同参画局長を務め、『待機児童ゼロ作戦』を推進していた立場でもありました。子育て支援に関する知識という強みを生かし、新しいものを生み出すことができたと自負しています」
――翌07年に学長に就任し、学生部から就職支援の部署を独立させる形で「キャリア支援センター」を新設しました。
「特に教員からは『就職先開拓のために私たちが企業に頭を下げて回るのか』と誤解された。それに対しては『教員の皆さんの役割は学生たちに社会の仕組みを教え、仕事を人生の中にきちんと位置付けるための教育を行うことです』と言葉を尽くしました。企業回りは事務職員が担当。ただ、企業への働きかけに不慣れな私たちだけで結果を出すことには限界がある。そこで、外部のビジネス経験者にも嘱託で協力を募りました」
「様子見」だった教職員も前向きに
「支援を強化した結果、11年に卒業生1000人以上の女子大の就職率ランキングで全国1位を獲得することができました。数字というエビデンス(根拠)を示せたのは大きかったですね。当初は『様子見』だった6割の教職員も、そのころからかなり前向きに協力してくれるようになっていきました」
「11年には、卒業生にとどまらず広く社会人女性から『メンター』を募集し、学生にアドバイスをしてもらう制度を始めました。13年には女性のリーダー人材を育成するグローバルビジネス学部を立ち上げ、それに合わせて、実務家の方々に研究員になってもらう現代ビジネス研究所を設置しました」