「絶対、あきらめない」の言葉に励まされ(井上芳雄)
第41回
井上芳雄です。日比谷シアタークリエでの『十二番目の天使』の公演が4月4日に千秋楽を迎えました。4月6日からは新潟をはじめ全国8カ所での地方公演が始まります。毎回お客さまのすすり泣きが聞こえてきて、皆さんがいろんな思いを感じてくださっているのだと受け止めています。
『十二番目の天使』は前回と前々回で紹介したようにオグ・マンディーノの世界的ベストセラー小説の初舞台化で、僕は交通事故で家族を亡くした実業家のジョンを演じています。傷心の彼が少年野球チームの監督を引き受け、ティモシーという少年と出会ったことで、再び生きる希望を得るまでが描かれます。「絶対、あきらめない」が口ぐせで、どんなことにも努力を重ねるティモシーの姿は、ジョンをはじめ周りの人たちを勇気づけ、彼らの人生を変えていきます。でも実は、彼は重大な秘密を抱えていたという話です。
心にしみる言葉がたくさん詰まった話で、だからこその難しさというか、それがどんなふうにお客さまに伝わるのか手探りのまま初日を迎えました。開幕してからは毎回、後半からラストにかけて客席からすすり泣きが聞こえてきます。感動したという感想もたくさんいただきました。ミュージカルだと笑い声や拍手が起こりますが、それとは全く違うお客さまの反応です。本当に届いているんだという手応えを感じて嬉しい一方で、どこかまだ実感として受け止めきれていないところもあります。
というのも舞台って、自分がやったことをだいぶ後になってから実感できたりするからです。『十二番目の天使』の前に主演した『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』にしても、今になって感想を聞くことが多く、それで『グレート・コメット』って本当にいい作品だったんだと、やっと信じられるという感覚です。
そのくらい演じている側は、どう受け止められているか分からないもの。「よかった」と言われればうれしいし、「いまひとつだね」と言われるとちょっと落ち込むという毎日を繰り返しているのが舞台の役者なのです。
特に今回は新作なので、幕が開くまでのドキドキ感はいつも以上に大きいように思います。このお芝居が誰かの人生の役に立ったり、セリフの言葉が励みになるはずだ、と思ってはいるけど、果たして本当にそうなのか。すごく不安になります。再演を重ねていたり、名作と評価が定まった作品を演じるときの安心感とは違う、ヒリヒリした感じ。
だからこそ「絶対、あきらめない」というティモシーの言葉は、僕の胸にすごく響きました。人間はすぐ結論を求めたくなるし、うまくいかないと「もうだめだ」となりがちです。でも、本当に何がよくて、何が悪いのかなんて、すぐには分からないもの。ティモシーの言葉には、ジョンの役としてだけではなく、井上芳雄としても励まされています。
ティモシーが教えくれること
今回はティモシーの存在が大きなお話で、彼が多くのことを教えてくれます。僕たちが普段いかにゆだんして生きているか、もそう。今の状況がずっと続くと思って生きているけど、実はどんな人にも、どんなものにも限りがある。ティモシーは野球の練習や試合でどんなにミスしても、それを笑われても、ニコッとしています。どうして笑顔でいられるのか。自分の状況を分かったうえで、精いっぱい生きているからです。
だから人生には、結果がうまくいく、いかないを超越した喜びがあって、本当は僕たちみんながそうなのです。でも、なかなか気づかない。それに気づかせてくれるのがティモシーです。見方をちょっと変えてみたり、自分じゃない人の状況を考えてみたら、世の中が全然違って見えてくるということも教えてくれます。
人を勇気づけたり、前向きにするお芝居なので、演じるほうはすごくエネルギーが必要です。1カ月半やり続けるのは、体力的にも精神的にも大変なことではあります。でも、だからこそ生きている実感を得られるんですね。やっぱり僕は舞台が好きで、このヒリヒリした毎日を過ごすのがやめられない、とあらためて思いました。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP社)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第42回は4月20日(土)の予定です。
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