漫才師・松井ケムリさん 父に心の中でガッツポーズ
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は漫才師の松井ケムリさんだ。
――慶応義塾大学を卒業しすぐお笑いの世界へ。ご両親は反対しなかったのですか。
「母は普通に就職した方がいいんじゃないのと、反対でした。父も最初から賛成というわけではありませんが、なんとか認めてくれました」
――お父様は大和証券グループ本社の松井敏浩副社長兼最高執行責任者ですね。
「父は『もし一般企業に就職する気なら、力になるぞ』と言ってくれましたが、まったく考えませんでした。浪人した時、大学には行かず、そのままお笑いの道に進もうかと思ったのですが、父から『大学だけは出ておけ』と言われました。このころから、いずれお笑いの道に進みたいという気持ちを伝えていたので、父も心の準備はできていたのかもしれません」
――お笑いで成功するのは大変なことだと思います。
「父にも同じことを言われました。でも慶応を出て、例えば大手商社に入ったとするでしょう。同期や先輩後輩との競争を勝ち抜き、役員になるのも、すごく大変ですよね。お笑いの世界は確かに厳しいですが、中にはなんとなく入ってきた人や、小中学校時代にクラスで面白いと言われていたレベルで入った人たちもいます。大学時代も全国的なお笑いイベントで準優勝するなど手応えはあったので、『本気でやれば生き残れる』と父に伝えたら、『そこまで言うならやってみろ』と」
――慶大卒業後、吉本興業のお笑い芸人養成所NSCへ。首席で卒業しました。
「卒業試験にあたる発表会ライブで1位になりました。NSCを出ると普通はトライアルという最下層のクラスからスタートするのですが、首席だとサードという下から2番目のクラスからになり、舞台の出番にも恵まれます」
――デビュー年の2018年、漫才コンクール「M-1グランプリ」で準決勝進出しました。
「実は準々決勝で落ちたんです。でもM-1を放送していたGYAOの、動画再生人数が一番多かった一組が敗者復活で準決勝に進めるルールのおかげで、我々がその権利を得たのです。普通に準決勝に進むより注目されました。今年は決勝進出が目標です」
――ご両親は舞台をご覧になりますか。
「父はこれまで2回、ライブ会場に来ました。『あのネタは良かった』など父なりのアドバイスをくれます。反対していた母は今、ライブの反応やファンの声などをネットで小まめにチェックしてくれます。今は魔人無骨の一番のファンです」
「小学生のころ、エンタの神様などお笑い番組を両親と一緒によく見ていました。『まさか息子が出ているお笑い番組を見ることになるとは』と父がつぶやいているのを見たとき、心の中でガッツポーズをしました」
[日本経済新聞夕刊2019年3月26日付]
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