ノラボウ菜・東京ウド… 江戸東京野菜、個性で魅了
東京近郊で古くから庶民に親しまれてきた「江戸東京野菜」。復活の機運が各地で高まり、飲食店などでの食材利用も進んできた。濃厚な味わいと地域の歴史に根付いた野菜の物語が消費者に好評だ。江戸時代から栽培され、飢饉(ききん)を救ったノラボウ菜、宿場町だった内藤新宿の名産品だった内藤トウガラシなど49品目が認定されている。開催まで500日を切った2020年東京五輪・パラリンピックに向け、東京の魅力を伝える「おもてなし食材」としても利用が進みそうだ。
素材の味濃く、魅力を実感
「食通のお客さんから反応がいいですよ」。笑顔で話すのは、JR神田駅近くの天ぷら料理店「てん茂」(東京・中央)を営む奥田秀助さん。明治18年創業の老舗だが、十数年ほど前から江戸東京野菜を食材に使うようになった。
食材自体の味わいが濃厚で一般に出回る野菜とひと味違う。旬に応じて年間10品目ほどを豊洲市場(東京・江東)や都内の農家から仕入れているが、来店客からは「東京にこんな食材があったんだ」と評判は上々だ。
記者がてん茂を訪れた3月中旬には、ノラボウ菜の塩漬けと、東京西部で生産が盛んな東京ウドの天ぷらをコース料理(税込み9720円から)で提供していた。早速、記者も試食してみた。
まずは前菜に出すノラボウ菜の塩漬けだ。1センチほどに切り刻んだ茎を塩に数日間つけて仕上げる。口に運ぶと、漬物の定番となるハクサイに負けず劣らずシャキシャキした歯応えが印象的だ。ほどよい塩加減と緑色の濃い見た目の良さが食欲を駆り立てる。
メイン食材の東京ウドの天ぷらにも箸を伸ばしてみた。高温のゴマ油で揚げると臭みが消え、ほんのり甘いまろやかな味わいになった。コリコリとした舌触りも絶妙で、ウドの食材としての魅力を改めて実感した。
地域貢献へつなげたい農家の思い
東京都三鷹市で江戸東京野菜の栽培に取り組む冨沢ファーム。「町おこしなど地域社会に貢献したい」(園主の冨沢剛さん)との思いで10年ほど前から栽培を始めた。ノラボウ菜、内藤トウガラシなど8品目を旬に応じて出荷する。記者が訪れたのは3月中旬の晴れ間。旬を迎えたノラボウ菜の初出荷に立ち会った。
「手で折れるほどの柔らかさが一番おいしいんですよ」。ノラボウ菜が畝一面に植わる畑でポキッと手折って食べさせてくれた。茎からほお張ると、かむたびに甘みがほんのりにじみ出る。どんな料理にでも合うくせの少ない野菜だという。
初出荷の行き先は地元のJAが運営する直売所だ。少しずつ認知が広まって消費者にも売れるようになってきた。近隣の学校給食や飲食店向けにも出荷している。
江戸期から栽培、地域密着の物語育む
江戸東京野菜は江戸時代から1960年代ごろまで育てられていた固有種だ。流入人口が増えるにつれ、江戸時代に全国各地から野菜の種が持ち込まれた。気候に合った品種が定着し、今に伝わっている。
長年の歴史のなかで、江戸東京野菜には地域に密着した物語が育まれてきた。例えばノラボウ菜は火山の噴火や冷害などで発生した「天明の大飢饉」(1782~87年)などの食糧難を救ったと伝わっている。一説によるとオランダの交易船が日本に持ち込んだとされ、寒さに強く栽培しやすいという特徴があった。
菜の花と同じアブラナ科で、当初は油を採るため五日市村(現在の東京都あきる野市)などに植えられていた。周辺住民は大凶作のたびにノラボウ菜を食べて空腹をしのいだという。あきる野市内には当時をしのぶ石碑「野良坊菜之碑」も建てられている。
内藤トウガラシは甲州街道の宿場町、内藤新宿(現在の新宿1丁目~3丁目付近)の特産品として有名だった。江戸市街の人口の大半は単身世帯の男性で食生活は外食が中心だったとされる。そんな江戸っ子たちに人気の食べ物の一つはそばだ。七味など薬味の需要が高まり、原料となるトウガラシ生産に火がついた。同地にあった大名、内藤氏の敷地内で栽培するトウガラシの質がいいと評判になり、周辺でも生産が進んでいったという。
それぞれに多様な歴史と魅力を持った江戸東京野菜だが、戦後になってから規格がそろいやすく画一的に効率よく生産できる「交配種(F1種)」が普及し、とって代わられた。70年代ごろを境に都内の畑から姿を消していった。
食育から広がった復活の機運
だが00年代半ばに都内の小・中学校から、食の大切さを教える「食育」の一環で復活させる動きが出てきた。地域の歴史を伝えるのにふさわしい食材と考えられたためだ。各地に残っていた種を学校で育てるほか、近隣の農家を巻き込んで学校給食の食材にも使い始めるようになった。
11年にはJA東京中央会(東京・立川)が江戸東京野菜の認定を始めた。当初の22品目から18年末までには49品目まで増加。ノラボウ菜、内藤トウガラシのほか練馬ダイコン、品川カブ、馬込半白キュウリなどがある。同会によると、都内には「把握している限りで約250軒」(担当者)の農家が栽培する。農家の数も少しずつだが増えているという。
江戸東京・伝統野菜研究会の大竹道茂代表は「歴史や物語を交えた食材の価値に注目する飲食店が使うようになってきた」と話す。地産地消や「コト消費」を求める消費者ニーズが高まるなか、飲食店が導入するケースも増えてきた。
生鮮品として出荷するだけではなく、内藤トウガラシのようにゆずコショウや七味などの加工品として販売する動きもある。江戸東京野菜はジワジワと存在感を増すまっただ中にある。
東京五輪、認知度アップの好機
開催まで500日を切った東京五輪・パラリンピック。江戸東京野菜を国内外に広めていくまたとない好機だ。生産量が限られ食卓の隅々までの供給は難しいものの、都内飲食店や選手らが宿泊する選手村などへの納品で「背景にある歴史や文化などの魅力を訴えていきたい」(東京都の担当者)との期待もある。来日外国人向けに提供する「おもてなし食材」としても、江戸東京野菜を使いたい考えだ。
ただ、選手村の食材納入には農業生産工程管理(GAP)の取得が必要だ。東京都は18年度から「東京都GAP」の認証を始めたが、19年3月時点で取得した都内の農家は13戸だけだ。民間の団体が認証するGAP取得者も多くはない。江戸東京野菜だけでなく、都内産食材の供給がどこまで進むかも見通せない。20年7月の開催までに認証農家をどれだけ増やせるかは課題の一つだ。
20年の東京五輪・パラリンピックが国内外へ認知を広めるきっかけとなれば、復活してきた江戸東京野菜の「歴史のタネ」を次代につなぎやすくなる。このチャンスをしっかりとつかみ、魅力を広めていけるかどうか――。準備が本格化する来月からの19年度は東京農業の正念場ともなりそうだ。
(高野馨太)
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