ノラボウ菜・東京ウド… 江戸東京野菜、個性で魅了

旬を迎えたノラボウ菜を初出荷する冨沢ファーム(東京・三鷹)の冨沢剛さん

「手で折れるほどの柔らかさが一番おいしいんですよ」。ノラボウ菜が畝一面に植わる畑でポキッと手折って食べさせてくれた。茎からほお張ると、かむたびに甘みがほんのりにじみ出る。どんな料理にでも合うくせの少ない野菜だという。

初出荷の行き先は地元のJAが運営する直売所だ。少しずつ認知が広まって消費者にも売れるようになってきた。近隣の学校給食や飲食店向けにも出荷している。

江戸期から栽培、地域密着の物語育む

江戸東京野菜は江戸時代から1960年代ごろまで育てられていた固有種だ。流入人口が増えるにつれ、江戸時代に全国各地から野菜の種が持ち込まれた。気候に合った品種が定着し、今に伝わっている。

長年の歴史のなかで、江戸東京野菜には地域に密着した物語が育まれてきた。例えばノラボウ菜は火山の噴火や冷害などで発生した「天明の大飢饉」(1782~87年)などの食糧難を救ったと伝わっている。一説によるとオランダの交易船が日本に持ち込んだとされ、寒さに強く栽培しやすいという特徴があった。

菜の花と同じアブラナ科で、当初は油を採るため五日市村(現在の東京都あきる野市)などに植えられていた。周辺住民は大凶作のたびにノラボウ菜を食べて空腹をしのいだという。あきる野市内には当時をしのぶ石碑「野良坊菜之碑」も建てられている。

内藤トウガラシは甲州街道の宿場町、内藤新宿(現在の新宿1丁目~3丁目付近)の特産品として有名だった。江戸市街の人口の大半は単身世帯の男性で食生活は外食が中心だったとされる。そんな江戸っ子たちに人気の食べ物の一つはそばだ。七味など薬味の需要が高まり、原料となるトウガラシ生産に火がついた。同地にあった大名、内藤氏の敷地内で栽培するトウガラシの質がいいと評判になり、周辺でも生産が進んでいったという。

内藤トウガラシは七味など加工品販売も盛んだ。3月初めに東京都新宿区で開いた消費者向けイベントでは料理に合わせた詰め合わせを提案

それぞれに多様な歴史と魅力を持った江戸東京野菜だが、戦後になってから規格がそろいやすく画一的に効率よく生産できる「交配種(F1種)」が普及し、とって代わられた。70年代ごろを境に都内の畑から姿を消していった。

食育から広がった復活の機運

だが00年代半ばに都内の小・中学校から、食の大切さを教える「食育」の一環で復活させる動きが出てきた。地域の歴史を伝えるのにふさわしい食材と考えられたためだ。各地に残っていた種を学校で育てるほか、近隣の農家を巻き込んで学校給食の食材にも使い始めるようになった。

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