元プロ野球選手・小林雅英さん 「野球楽しめ」と父
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は元プロ野球選手で、野球評論家の小林雅英さんだ。
――お父さんとは少年野球で師弟関係だったとか。
「小学6年生のとき、所属していた地元の野球団の監督に父が就任したんです。小学2年で入団して以来、練習の送り迎えや僕とのキャッチボールなどに熱心な父だったので、『いつか監督を』と思っていたのかもしれませんね」
――厳しい指導を受けたのですか。
「名作漫画『巨人の星』の主人公親子を連想されるかもしれませんが、全然そんなことはありませんでした。僕はプロには投手として入ったのですが、当時はよくバッティング練習に付き合ってくれたのを覚えています。それも『ああしろこうしろ』というのではなく、『野球を楽しみなさい』と自由に練習をさせてくれました」
――とても仲のいい親子だったのですね。
「友達のような関係でした。高校から大学、社会人を経てプロに入るまで進路などについて口うるさく言われた記憶はありません。『やりたいようにやりなさい』と僕の決断をいつも受け入れてくれました。ドラフト1位でロッテに指名されたときに、電話口で『よかったな』とかみしめるように言われた一言が忘れられないですね」
――プロ3年目の2001年、病に倒れてしまいました。
「胃がんでした。夏ごろに医師に余命3カ月と宣告されました。直後にオールスター戦に選出されたのですが、無理を言って父に観戦してもらいました。最後に僕が大舞台で投げる姿を見せられてよかったです。約1カ月後に亡くなった日、僕は球場で練習していたんですが体調が悪くなって帰宅したんです。そうしたら家族から電話があって『すぐに(実家の)山梨に帰ってこい』と。虫の知らせだったのかもしれませんね」
――お母様も同じような性格だとか。
「野球に関することはいつも事後報告なんですが、母も父と同じく僕の好きなようにやらせてくれました。08年にメジャーリーグに挑戦したときも11年に引退を決めたときも温かく見守ってくれました。僕はこうと決めたら曲げられない性格。両親のように接してくれたのは、とても有り難かったですね」
――今年から女子プロ野球のコーチに就任します。
「新たな挑戦ですね。女子プロ野球を盛り上げるにはスター選手の存在が不可欠。大リーグの大谷翔平選手のような素晴らしいプレーヤーを育てたい。女子の野球人口が増えることは男子の野球人口拡大にもつながります。世の中のお母さんたちは野球のルールを知らない方も多い。それでは子供に野球をさせようとは思わなくなりますからね。野球人気を盛り上げるためにも、父に教わった『野球を楽しむ』ということを多くの人に伝えていきたいですね」
[日本経済新聞夕刊2019年2月19日付]
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