マヨネーズは劇的進化 キユーピー会長語る100年
キユーピー会長 中島周氏(上)

今年、創業100周年を迎えたキユーピー。主力商品のキユーピーマヨネーズは、日本の食文化には欠かせない、世界に誇る食品ブランドに育った。ただ、当初の味は今とはまったく違ったという。マヨネーズをどう開発し、会社を成長させてきたのか、創業家の中島周(なかしまあまね)会長に聞いた。
--日本で初めてマヨネーズを製造販売してきました。マヨネーズは、最初どんな味だったのでしょう。
味は、今のものとぜんぜん違います。たまに我々も、発売当初のスペックでマヨネーズを作りますが、とっても食べられません。こってりしすぎですね。当時は食材が豊富じゃなかったから、こってりさせてボリューム感を出していたのではないでしょうか。今は、嗜好が淡泊になっているのと同時に、素材が良くなっているため、調味料が強い味で素材をじゃましないようにしています。それでも、卵ご飯にマヨネーズをかける人もいますけどね。
一番最初のマヨネーズと今のマヨネーズが劇的に違うだけでなく、その間も味は変えてきました。お客様の味の好みを分析するなど、味の研究は常にしています。実際に変えるのは、10年、20年という長いスパンで、そんなに頻繁ではありません。しかも、はっきり分かるように大きくは変えていません。ただ、いつでも味を変える用意はできているのです。味の研究は絶やすことはありません。
マヨネーズに限らず、日本人の味の嗜好も変化していますね。昔に比べて今は、以前よりも新鮮で、チルドで流通するようになったことから、素材の良さをそのまま味わえるよう、素材を邪魔しない薄味が主流となっています。ドリアみたいに、上にどろっと濃い味を載せると、下の素材の味が分からなくなってしまいますからね。
うちで作っているジャムは、昔は相当甘いものでしたが、今は甘いものは売れなくなっています。甘さを抑えた55ジャムもそろえていますが、これでもまだ甘いというので、最近はオールフルーツといって果実を丸ごとジャムにした製品を作りまして、これが一番伸びています。一般的にも、甘味を抑えたタイプのジャムが次々登場し、それがどんどん売れていますね。パンが甘くなっているということも理由にあるでしょう。パン自体はそれまで塩味だったのが、少し砂糖を含んだものが売れ始めました。
一方で、若者の食のトレンドは全体のトレンドとはやや違って、食感が軟らかくて甘いものを好みます。それに呼応するように、最近のイチゴやミカンはすごく甘い。世の中一般では、甘さの強いものはみな食べなくなっており、特に強い甘みは避ける傾向にあります。ただ、若者が好むジャンキーなものがなくなったわけじゃありません。それなりのマーケットもあります。それにも対応していかなければなりません。
とはいえ、日本にはコンブやカツオ節などのうま味があります。野菜にもうま味はあります。本来の自然のうま味が分かるのが日本人ではないかと思うのです。マーケットに対応するといっても、そうした日本人の味覚を尊重していくのが肝心です。

--そもそもマヨネーズは、西洋料理の調味料です。どのように日本で製造販売するようになったのか、誕生秘話をお聞かせください。
まず、うちでは「創業者」とは言わず、「創始者」と言うんですよ。というのは、キユーピーの前身は、義祖父中島董一郎の友人が設立した会社。董一郎がそこに委託してマヨネーズを製造することになります。製造は友人の会社であり、うちはマヨネーズを日本で初めて企画販売したという関係です。
董一郎は縁あって水産講習所(現在の東京海洋大学)に入りました。卒業後、農商務省(当時)の海外実業実習生に応募し選ばれ、欧米を訪問します。米国に渡ったとき、そこでマヨネーズ入りのポテトサラダに出合います。おいしくて、栄養たっぷり。当時の日本人の体格は小さくて栄養が不足していました。立派な体格の米国人を見るにつけ、日本人が世界に伍(ご)する丈夫な体を手に入れるのに、マヨネーズが貢献すると確信したそうです。
帰国して1918年、中島商店(1938年中島董商店に改組)を設立し、水産缶詰の仕事を始めます。恩師に「富国政策を掲げる日本が豊かになるためには、水産の仕事がよいのでは」とアドバイスを受けたからのようです。カムチャツカに行くなど精力的に取り組んでいましたが、関東大震災後、かねて気になっていたマヨネーズのビジネスの開始を決意します。ただ、製造する工場がありません。董一郎の友人が1919年に設立した食品工業(1957年にキユーピーに社名変更)に出資する形で、製造してもらうことにしました。1925年のことでした。販売するのは中島商店です。
ここで実にユニークな取り組みがあったんです。董一郎の1年先輩に東洋製缶の創業者の一人がいました。董一郎が長いキャリアの中で、折に触れ指南を仰いだ人でした。その人に新商品のマヨネーズについて相談したところ、広く消費者に受け入れてもらうためにはブランドがとても重要だと諭され、「キユーピーというブランドにしてみては」と推奨されたそうなのです。ところが調べてみると、キユーピーは日魯漁業(現:マルハニチロ)さんが既に持っていた。そこで先輩は「中島商店にブランドを譲ってやってくれないか」と、日魯漁業にかけあってくれたのです。
キユーピーは中島商店のブランドとなり、製造委託したマヨネーズを、中島商店がキユーピーというブランドで販売してきたのです。1972年に製造会社のキユーピーにブランドを譲渡するまで、中島商店がブランドを育ててきました。

--新商品について詳細などが決まらないうちに、まずブランドを打ち出すという強いブランドへのこだわりが、キユーピーの100年を築いてきたのですね。
広告宣伝をすごくやったんです。新聞などを使いましたね。売り上げの2倍とはいかないけれど、売り上げより多い金額を使っていました。董一郎は変わっていたのでしょうね。優れていたとは決して言えませんが、そのおかげで100年続けてこられたのは確かです。
董一郎が広告宣伝にこれだけお金を投じるようになったきっかけは、米国であるポスターを見たことだと聞いています。コダックやケロッグなどの宣伝ポスターなのですが、家族のだんらんや、楽しく食卓を囲む様子などが描かれ、「このブランドの商品があるとこんなに素晴らしい生活ができる」と感じさせるものでした。
今の米国ではあまり見ませんが、アジア諸国では今でも高速道路で走る車から見える大きな看板に描かれています。董一郎はこうしたポスターを見て、「ブランディングは商品を世の中に浸透させるための強力な武器になる」と思ったそうです。その食品の味でも価格でもなく、その食品のおかげで得られる世界観を伝えることが重要なわけです。
だから当社では、広告宣伝は経費ではなく投資だという考えですよ。もちろん、経理的には販促費ですけど、発想は投資なんです。一定の予算を毎年もらって、着実に販促活動を全うしています。キユーピーマヨネーズには、健康訴求の亜麻仁油マヨネーズや、コレステロールゼロのマヨネーズといったいろいろな派生商品を出していますが、広告宣伝では、個別商品の広告はあまり展開していません。比較的多く広告宣伝費をかけているのはキユーピーマヨネーズ全体の世界観を伝えるものです。価値ある新鮮な野菜を皆さんに楽しんでもらう、そのお手伝いをさせていただくのがキユーピーマヨネーズなんです……。そういうところにブランディングを徹底させています。
--キユーピーマヨネーズはブランドありきだったことが分かりました。でも具体的に、味はどう作り、食べ方はどう提案してきたのでしょうか。
確かにブランド認知を強力に推し進めたので、キユーピーマヨネーズというものが家庭に浸透はしました。しかし、使い方が分からないため、そして当時は瓶入りだったため、ポマードのようなものだと思い、髪の毛に塗ったという話も伝わっています(笑)。発売当初は、中島商店が水産缶詰の会社だったので、マヨネーズといっしょにオイル漬け缶詰のサバ、サケ、カニなどを食べることを提案しました。水産缶詰は当時安かったですし。
ただ、戦前はものすごく苦労したらしいです。戦後も一時、原料調達ができなくて中断したときがあったらしい。マヨネーズの材料は、卵や油の調達が難しかったといいます。もっとも、戦後に生産を再開したときは、作れば作るほど売れたそうです。やっと、ブランドに実体が追いついたということでしょうか
--次回は、マヨラーの出現などマヨネーズにかかわる近年の動向や、キユーピーの今後の展開についてお聞きします。
1959年生まれ。1983年早稲田大学政治経済学部卒業。1983年日本興業銀行(現みずほ銀行)入行、1989年米国コーネル大学経営大学院修了、1993年同行退職。1993年中島董商店入社、1997年キユーピー取締役、2005年同常務CSR担当、2010年中島董商店社長(現任)、2014年キユーピー専務 ブランド・コンプライアンス担当、2016年同会長 ブランド・コンプライアンス担当(現任)。
(中野栄子)
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