おばあちゃんの涙と、もうひとつのぼくの夢
全脳アーキテクチャ若手の会!(6)
忙しいから。そう言って、高校に入学してからは大好きだったおじいちゃんの家には一度も行きませんでした。でも本当は、高校であまり勉強がうまくいっていない自分の姿をおじいちゃんやおばあちゃんに見せたくなかったからでした。おじいちゃんが入院しても、ぼくが訪ねることはありませんでした。
おじいちゃんが突然死んだのは、その直後のことでした。
はじめての後悔
高校で最初の定期試験で撃沈して、2回目の試験期間を1週間前に控えたある日、高校で授業を終えると母からメールが届いていました。
「おじいちゃんの容体が急変したから、病院にすぐ来て」
ぼくは頭が真っ白になりました。そして病院に着くと、おじいちゃんはすでに冷たくなっていました。そしてそのまま父やおじさんと葬式会場に泊まり込んで葬式の準備をすることになったのでした。
高校から直接向かったために、試験前でも勉強道具は家に置いたまま。勉強もできず、ただただじっと後悔する気持ちに浸っていました。あんなに大好きで、しょっちゅうおじいちゃんのところに遊びに行っていたのに。行きたかった高校に合格したことを、おじいちゃんは誰よりも喜んでくれたのに。高校生になったぼくの姿を一度も見ることなく、死んでしまった。
恩師の言葉とおじいちゃんの死が変えたもの
そんなとき、なぜか心に浮かんだ言葉は、中学の時にバレー部の先生に言われたあの言葉でした。「8割の力で流すのが、お前の生き方なんだろ? それでいいと思っている間は、別にそれで構わない」。そしてその時初めてその言葉の意味がわかった気がしました。自分が全力で頑張らなかったから、どんどん自分の気持ちが後ろめたくなって。そしてとうとうおじいちゃんが死ぬまで顔向けできなかった。そして初めて、自分を変えたいと思ったのです。本気で頑張らずに、後悔するのは今回で最後にしたいと。
深夜になってふと携帯を開くと、大量のメールが届いていました。慌てて高校を出て行ったことを心配した友人から、「携帯でも見られる試験対策送るね。」と。自分が楽をしたくて、試験勉強を一緒にする友人を集めていたのが恥ずかしくなりました。
10割の本気
その日から試験当日まで、私は自分でも驚くほど努力しました。どこにこんな集中力があったのかと自分でも驚くほどに。その時の自分は自信を持って10割の力を出し切ろうとしていました。結果は自然についてきました。その時の試験の成績は200人いる同級生の中で10位。私はその成績が出てすぐにおばあちゃんのところに向かいました。
おばあちゃんの言葉
私の成績を見て、おばあちゃんはぽろぽろと涙を流しました。おじいちゃんの写真に向かって、「正彦が頑張ったよ」と語りかけた後、こう教えてくれたのです。
「おじいちゃんは病院で入院している間、死ぬ直前までずっと、看護師さんが来るたびに、『孫が東工大の附属高校に通っている。自慢の孫だ』って自慢していたんだよ。今でも、部屋から庭を眺めると、あの窓の前でおじいちゃんと正彦が将棋をしている姿が目に浮かぶよ。負けた正彦に向かって『もう一回やるか?』って言うおじいちゃんと、涙をこらえながら『うん』って言う正彦の姿がね」
私はその時ほどぽろぽろと自然に涙がこぼれたことはありません。
それからの3年間は見違えるほど変わった!
それからというもの、私はいろいろなことにチャレンジしました。結局私はそれ以来、試験前にはみんなで集まって試験対策を作ったり、教えあったりしながら頑張って勉強し続けました。もちろん今度は楽をするためではなくて、一緒に支えあって良い結果を出せるように。全力で。
なんとなくやる気になれなかった部活も始めました。いろいろ悩んだのですが、やっぱりバレーボールが好きで、バレーボール部に入りました。中学時代の恩師の言葉を思い出しながら、楽しく活動していました。
新たに、競技プログラミングというものも始めました。出題された問題に対して、高速に答えを出せるプログラムを組む競技なのですが、高校2年生と3年生の時に全国大会に出場しました。とはいえチーム戦だったので、これに関してはチームのメンバーに恵まれたところが大きかったのですが。
いろいろな資格試験にもチャンレンジしました。情報処理に関する国家資格、プログラミングの資格、アマチュア無線の資格、技術英語検定や危険物取扱技術者を取ったりもしました。そして最後にもう少しだけ自慢話をすると、卒業時には専攻ごとに選ばれる5人の首席のうちの1人として、表彰を受けました。
どれも入学した頃の自分からは全く考えられない結果でした。しかしそう思う一方で、この姿をおじいちゃんに見せられたらどんなに喜んでくれただろうと、少しだけ切なく思います。
私が頑張れる理由。そしてもうひとつのぼくの夢
今私が何事にも必死になれるのは、二度と後悔したくないからです。そして、それを教えてくれたおじいちゃんとおばあちゃん、中学時代に厳しく真剣に自分と向き合ってくれた先生のおかげです。それでも疲れて頑張れない時は、おばあちゃんの家に遊びに行っていろいろな話をします。かえってくる答えはいつも同じで、「そんなに頑張っているなら、まだまだ死ねないね」と。
「本当にわかってる?」と思いつつも、不思議なことになんとなくその言葉に安心して、また頑張ろうと思えるのです。いつか私がドラえもんを作った時にも、きっとおばあちゃんのところに報告に行きます。そしていつもと同じように「まだまだ死ねないね」とおばあちゃんに言ってもらう。それがもうひとつの"ぼくの夢"になっているのかもしれません。
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