「マイノリティ」になって 初めて考えたこと
アジア人は私だけ~米大学留学記(9)
先日、スペルマンでの留学を無事に終え帰国し、今は日本でぬくぬくと暮らしています。この連載も終盤となりましたが、スペルマンでの生活を振り返りながら、実際のところ、純日本人が黒人大学でマイノリティとして暮らすことで何が起こったのか?何を感じたのか?という根本のところについて、2回にわけてお伝えできればと思います。
これまで「歴史的黒人大学(HBCU)」とそこにいる学生たちについて、様々な視点から書いてきました。独自の歴史と文化を持つ黒人大学という場所は本当に面白く、記憶に残る経験をすることができましたが、実は、本質的な部分では日本社会との共通点を感じることが多々ありました。
「なぜ日本にいるの?」
スペルマンで生活する中で最も頻繁に考えたことのひとつが、日本社会にいた頃の自分とマイノリティとの関係でした。人種的にも言語的にも同質性が高い環境でマイノリティとして暮らす中で、日本社会でマジョリティとして生活していた時には見えていなかったことがたくさんあることに気づきました。
スペルマンに来てから初めて、自分が日本にいた頃「日本人に見えない人」をどう見ていたか振り返りました。誤解を恐れず言うと、私は例えば電車で「純日本人に見えない人」、つまり髪の色や肌の色、顔立ち等が自分と明らかに違う人を見た時、無意識に「どこから来たんだろう?」「どうして日本に来たのかな?」などと考えていました。たとえその人たちが本当は日本生まれ日本育ちで、日本語を流暢に喋ったとしても、外見だけで「自分たち」とは違う人だ、という印象を持っていたと思います。自己弁護をするわけではありませんが、多くの「日本人」が無意識にそのように考えるのではないかと予想しますし、私はそれを悪として責めようとは思いません。
そして、スペルマンで暮らす中で、私はそれをまったく逆の立場で経験しました。要は、私は「スペルマンの学生に見えない人」であり、スペルマンにいることが自然ではない人間なのです。
キャンパスを一歩出れば、アジア系アメリカ人として、サラダボウルの具のように馴染んで生きていけるかもしれませんが、少なくともスペルマンのコミュニティの中で私がインサイダーになることは決してありません。「スペルマン大学の学生は黒人」、という共通認識があるので、教員かスタッフと間違われることは日常茶飯事でしたし、他の学生と全く同じようにスペルマンのトレーナーを着て、教科書を抱えて歩いていても、会った人は必ず「どこから来たの?」「留学生?」「どうしてスペルマンを選んだの?」と私に質問します。もちろん悪意はありません。
タクシーの運転手と会話していて、スペルマンに通っている、と言ったところ、「なんでわざわざそんなところに行くんだ? アジア人ならほかにいい大学あるだろ」と言われたこともありました。
もうひとつ、よく聞かれたのが「ミックスなの?」という質問でした。私は日本では「顔が濃い」と言われることがありますが、スペルマンにいればどう見ても純度高めなアジア人顔なわけで、その質問の真意は、アジア人が黒人大学にいるという不思議な状況に、どうにかして納得できる理由(黒人の血が一滴でも入っているとか...?)を探そうとしているように感じました。
自分がマイノリティになって初めて、日本に暮らす外国人や、外国にルーツを持つ日本人が感じていることを想像できるようになりましたし、同時に自分が日本でマジョリティとして、どれだけの見えない利益を享受していたか思い知らされました。
髪型も音楽も違う!
黒人コミュニティ特有の話題についていけないということも、アウトサイダーの苦労のひとつでした。たとえば、黒人の髪質は強いカールがかかっていて、アジア人とは違う特別な手入れが必要になります。使っている整髪料も、ヘアスタイルの参考にする芸能人も、読む雑誌も違います。スペルマンの女の子たちは皆個性豊かでかわいい髪形をしていますが、「その髪型どうしてるの?」なんて会話が始まると私は入っていくことができません。音楽も、ビヨンセぐらいなら知っていますが、学内でやたら開催されるダンスイベントとなると、流行りの曲も振付もわからないので一緒に楽しむことができません。これは、どこにでもある単なる文化の違いではありますが、その場で自分だけがわからないとなると、やはり居づらさを感じることもありました。
その点、留学生たちとは「外国人」という共通点から分かり合えることも多く、何かと集まっては愚痴りあい、助け合う仲になることができました。それでも、彼女たちとはスペルマンにおいて最も大切な価値である「人種」を共有していないので、本当の意味で自分の微妙な感情を伝えることは正直に言ってできなかったと思います。
留学中のある日、隣のモアハウス大学(同じく黒人大学)のキャンパスを歩いていた時にたまたまフィリピン系移民の学生に声をかけられ、話をする機会がありました。私自身、留学中に教員以外でアジア出身の人に出会ったことがなかったのでとても驚いたのですが、「いつもこういう質問されるよね」など、「マイノリティあるある」ネタで盛り上がり、仲良くなることができました。
彼は、母親がオフィスで働いているので授業料が免除だった、という理由でモアハウスに入学したそうですが、何年経っても「何でHBCUを選んだの?」と聞かれることが何度もあってうんざりすると言っていました。
3歳の時にアメリカに引っ越してきたそうなので中身はほぼアメリカ人ですが、初対面でもなんとなくお互いの事情を理解しあえるというか、ほっとするというか、何とも言えないシンパシーのようなものを感じました。そしてしばらく考えて、そもそも黒人大学という場所自体が、このシンパシーが形になったものなのではないか、と気づきました。
「アジア人」という大きなアイデンティティを共有する友達に出会って初めて、自分はスペルマンで人種マイノリティとして孤独や生きづらさを感じていたということに気づきましたし、同時にスペルマンの学生がアメリカ社会に感じている違和感や、だからこそスペルマンに抱く愛着を本当の意味で理解することができたと感じます。
どんなに英語を勉強しても、ダンスをうまく踊れるようになっても、「スペルマンの学生に見えない人」の限界は努力で超えられるものではないのかもしれません。しかし、当たり前にマジョリティとして快適に暮らし、自分が何を持っているのかすら認識していなかった私にとって、生まれて初めて感じたこの壁は、自分にとって大きな財産となる気づきだったと思います。
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