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置かれた場で生き抜く 宇喜多秀家に学ぶ環境適応術

こちら「メンタル産業医」相談室(29)

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NIKKEI STYLE

日経Gooday(グッデイ)

華やかなイルミネーションが目を楽しませてくれる12月、皆様の心と体はお元気でしょうか? こんにちは、精神科医・産業医の奥田弘美です。

さて私事で恐縮ですが、11月にNHK BSプレミアムの「偉人たちの健康診断」という番組にビデオ出演し、「宇喜多秀家のストレス対応能力」について精神科医としての見解を述べるというちょっと面白いお仕事をしました。

実は私、歴女のレベルではありませんが、歴史や古典はかなり好きな方でして、自分の興味ある歴史上の人物について深掘りしてはひそかに楽しむことを趣味としております。しかし今回ご依頼のあった安土桃山時代の武将「宇喜多秀家」に対しては、「関ヶ原の戦いで、負けグループの西軍にいた大名」という薄~い印象があった程度で全く興味もなく、彼の性格や人生についてはほとんど知りませんでした。

で、慌てて関係資料を熟読しつつ、自らもいろいろ検索してみたのですが、これが意外や意外、知れば知るほど彼が非常に興味深い人物であり、かつ現在のビジネスパーソンにとって学ぶところの多いストレス耐性を有していることが分かってきたのです。そこで本連載の場を活用して、筆者の気付きをシェアしたいと思います。

天国から地獄までを見た男

まず宇喜多秀家の経歴をご紹介しましょう。

宇喜多秀家は、1572年(元亀3年)生まれ[注1]。没は1655年とされ、安土桃山時代の戦国時代から江戸時代前期まで生き抜いた武将です。関ヶ原で豊臣方についた西軍の主力でありながらも奇跡的に斬首されず、その当時としてはまれな84歳という長寿を全うしました。しかしその生涯はまさに文字通り波乱万丈で、天国から地獄まで垣間見た人生だったといえるでしょう。

秀家は生まれながらのトップエリートでした。父・宇喜多直家の死後、幼くして家督を譲られ備前岡山城主となります。父の代からの忠臣に守られながらすくすくと成長し、時の天下人・豊臣秀吉からも、めでたく寵愛を受けました。秀吉の養女(前田利家の娘)の豪姫を正室として賜り、秀吉の期待に応えるべく武功も順調に上げ、20代半ばには豊臣政権の五大老の一人に抜擢されます。こうして秀家は若くして破竹の勢いで出世階段を上りつめていったのです。

しかし秀吉の没後、その右肩上がりの人生は一転して急降下します。関ヶ原の戦い(1600年)に西軍の主力として戦うも大敗し、秀家はほうほうのていでわずかな家臣とともに伊吹山中に逃げ込む羽目に。超エリート大名がわずか1日で落ち武者に転じ、徳川方の追手をかわしながらの逃亡の日々が始まったのです。

秀家は郷士にしばらくかくまわれたのち、京都へ。その後、西軍として共に戦った島津家を頼って薩摩に落ち延びます。薩摩国では、それなりの待遇を受けてつかの間の穏やかな日々を過ごしたようですが、3年もすると徳川方に嗅ぎつけられ、秀家は出頭することに。これで命運尽きたかと覚悟しましたが、前田家・島津家の助命嘆願によって死罪を免れ、1606年(慶長11年)、2人の息子、そして家臣らと八丈島へ流刑に処せられることになったのでした。

のちの江戸時代に流刑地として有名となったこの島に、秀家は第1号の流人として送られたわけなのですが、彼は島でしっかりと根付き、約50年もの年月を送り、1655年(明暦元年)、84歳の長寿を全うし天に召されました。関ヶ原を戦った武将の中では秀家が最も長く生きたとされます。また秀家の子孫はその後も途絶えずに幾つもの分家に別れて繁栄し現在まで脈々と続いているそうです。

生きざまからうかがえる特筆すべき「ストレス耐性」

いかがでしょう? 歴史通以外は、秀家の生きざまを詳しく知らない人も多いと思いますが、なかなかドラマチックな味のある人生だと思いませんか? 表面だけなぞると、苦労知らずの超セレブな若殿が、流人に落ちぶれ辛酸をなめながらも生きながらえたと捉えられがちですが、筆者は精神科医として、秀家には特筆すべき「ストレス耐性」があったのではないかと感じます。

[注1]年代・事跡などについては諸説あります。

筆者が感じるのは、秀家はいわば「置かれた場所で、しっかり根を張れる人」。つまり環境に順応していく力「環境適応能力」が非常に高い人だと思うのです。

秀家がもしメンタルの弱い人ならば、苦労知らずの超セレブな貴公子から一夜にして敗軍の将としての逃亡生活を強いられた時点で、屈辱に耐えきれず自害してしまうか、その落差に耐えられず心身を病んでしまったことでしょう。

しかし秀家は6年にもわたるハイストレスな逃亡生活に耐え抜き、さらに八丈島という遠く離れた島での貧しい田舎生活にも見事に適応し、子孫を繁栄させながら長寿を全うします。精神医学的に考えると、これだけ大きな環境の変化というストレスに適応していくためには、容易ならぬメンタルのタフさが必要です。

そこで筆者の独断や想像も多分に入りますが、秀家がなぜ傑出した「ストレスに打ち勝つ環境適応能力」を持つことができたのか、具体的に分析してみたいと思います。

どんな環境でも楽しみを見つけ出す能力の高さ

秀家は生まれながらにしてセレブな殿様で、いわば先代がたたき上げで築いた大会社の二代目社長。父の代からの優秀な家臣にお尻をたたかれ、豊臣秀吉からも大きな期待をかけられつつ、若くして出世街道に躍り出ます。が、周りは徳川家康を筆頭に戦国の世を生き抜いてきた老練で狡猾(こうかつ)な大名ばかり。そんな中にあっても秀家は、秀吉の期待を裏切らず次々と武功を上げ続けていきました。

しかしよくよく考えてみれば、当時20代の若者であった秀家には、かなりのプレッシャーと緊張の連続の毎日だったのではないかと思われます。秀家はどうやってそのストレスを和らげていたのでしょうか?

その当時の秀家の楽しみは、能でした。自分の城で頻繁に能の会を主催し、自ら舞台に立って楊貴妃や遊女に扮(ふん)し演目を演じていたといいます。

ちなみにNHKの同番組内では、このコスプレにも彼にとって重要なストレス解消要素があったのではないかと解説がなされていました。精神医学的に考えても、仕事とは全く関係のない趣味や人間関係を持って楽しむ時間を持つことは、緊張やストレスを和らげる良い気分転換になることは確かです。秀家は、こうしたレクリエーションを自ら創造して楽しむことが非常にうまかったといえるでしょう。

秀家は流人として八丈島に流される道中も、中継地となる島々に立ち寄りながら船を進めていったそうですが、いくつかの島々で地元の名士と交流したり、島の温泉に入ったりと、のんびり楽しんでいたというエピソードが残されています。

また八丈島に上陸してからも、貧しい暮らしのため自ら畑を耕しつつも、和歌を詠んだり、釣りをしたりといった趣味的な楽しみも忘れなかったようです。また島民とも親しく交流し、文字を教える代わりに農作物をもらったというエピソードも伝わっています。

ストレス対処に有効な「3つのR」

さて現代のメンタルヘルスでは、ストレスに対処するためには、次の3つのRを意識するとよいとされています。

【ストレス対処に有効な「3つのR」】

●「Rest: 休息と睡眠」
・・・しっかり休息や睡眠をとり、心身を休ませる時間を持つ
●「Recreation: 気晴らし」
・・・スポーツ、楽器演奏、ガーデニングといった遊びや娯楽を通じて気分転換をはかる
●「Relaxation: くつろぎ」
・・・親しい人と会話を楽しんだり、自然の中でのんびりしたり、瞑想やストレッチをしたりして心身の緊張をほぐす。

合戦に駆り出されていたエリート大名時代、秀家がどのくらいの睡眠や休息をとっていたのかはよく分かりませんが、Recreationについては、能にハマったくらいですから、若いころから得意だったことは確かです。また妻の豪姫とは仲睦まじく子宝にも恵まれたようですから、Relaxationもそれなりに家庭で謳歌できていたことでしょう。

のちに八丈島に島流しが決まってからは、ストレスフルな逃亡生活から解放されてRestはしっかり取れたはずです。和歌や釣り、温泉といったRecreationも時々に楽しめていたようですし、島民と家族ぐるみの交流を行うことでRelaxationも得ていたようです。

宇喜多秀家はこのようにしてみると、何不自由のないリッチな若殿に生まれながらも受け身ではなく、主体的に豊かな趣味を楽しむ好奇心と行動力を持ち、かつコミュニケーション力に優れた人柄であったことがうかがえます。武将という「職務」に没頭してワーカホリックにならずに、様々な分野の人々と楽しく交流する能力に長けていたからこそ、自分の置かれた時々の環境においてもストレスをコントロールしていけたのではないでしょうか?

現代社会に暮らす我々も、秀家ほどの目まぐるしい急転直下ではないものの、時には不本意な異動や家族の事情によって望まない環境の変化にさらされることがあります。そんなときには、この秀家の生きざまを思い出しつつ、その場所で可能な3つのRを積極的に見つけていくとよいのではないかなと思います。

秀家の生涯を眺めていると、前半のハイプレッシャーなエリート武将時代も、後半のハイストレスな流人時代も、どこかに「屈託のなさ」「朗らかさ」といったニュアンスが感じられるような気がしてなりません。

ちなみに、秀家は八丈島で交流のあった寺の住職のことを下記のような和歌に詠んだとされています。

「綿ぼうしさわらば落(おち)ん禿(はげ)あたまさぞ寒からめ西の山風」

僧侶の坊主頭をからかう愉快な句で、3つのRを楽しんでいる秀家が目に浮かぶようです。逆境の流人生活にも押しつぶされることなく天寿を全うした宇喜多秀家のメンタル特性は、現代のストレス社会に生きる私たちにとっても非常に面白い示唆に富んでいるように思います。

次回も引き続き戦国武将の生きざまから、ストレスと対峙していくためのヒントを探ってみたいと思います。どうぞお楽しみに。

【参考文献・サイト】
●『宇喜多秀家と豊臣政権』(渡邊大門著、洋泉社)
●『宇喜多秀家』(大西泰正著、戎光祥出版)
●岡山シティミュージアム デジタルアーカイブ
( http://www.city.okayama.jp/museum/rekidai/ukita/hideie.htm )
●岡山市東京事務所HP
( http://www.city.okayama.jp/tokyo/yukari/ibuki/ukita/ukita.htm )
●NHK BSプレミアム「偉人たちの健康診断」
奥田弘美
 精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント。1992年山口大学医学部卒。精神科医および都内20カ所の産業医として働く人を心と身体の両面からサポートしている。著書には『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)、『1分間どこでもマインドフルネス』(日本能率協会マネジメントセンター)など多数。日本マインドフルネス普及協会を立ち上げ日本人に合ったマインドフルネス瞑想の普及も行っている。

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