ケーキなのにケーキでない? ベトナム産チョコの絶品
さいたま市の洋菓子店「パティスリー アプラノス」。この店に、ひときわ変わったチョコレート菓子がある。「焼きショコラ~極(きわみ)~」だ。ベトナム産のチョコレートを使ったこの一品は、ケーキの形をしていながら実は「ケーキ」ではない。スポンジに見える部分は「焼きチョコレート」。チョコレートと卵、バター、そしてほんの少しのアーモンドパウダーを合わせた生地を特殊な方法で焼き上げているのだ。
「普通のチョコレートケーキとはまるで違うので、あまり受けないかもしれない」――オーナーシェフの朝田晋平さんの危惧とは裏腹にこの菓子は2014年秋の発売以来大ヒット。多い日には1日に50~60個も出て、同店のチョコレートケーキの中で一番人気となっている。
このユニークな菓子が誕生したきっかけは、ベルギーのプロ向け製菓・製パン材料を扱う企業ピュラトスが新しくベトナムでチョコレートの生産を始めたことだった。カカオ生産者の栽培技術を支援、生産者の収入・生活水準向上を目指す独自プログラムを取り入れながら開始したもので、収穫したカカオは現地でチョコレートにまで加工される。朝田さんはその現場を見に行く機会を得たのだ。
朝田さんは使う食材の生産現場に強い興味を持つ。「ただ原料として使うのではなく、生産現場を見て、作っている方の話を聞くと自分に思い入れができる。自分の気持ちが入れば入るほどお菓子に現れ、新しい発想も生まれる。自分のお菓子作りには欠かせない要素なんです」と言う。
例えばフルーツなら、生産者を訪れれば一番おいしい時期、食べ方を教えてもらえる。それを最大限に引き出そうと、生のフルーツをそのまま使ったタルトが生まれる。素材を生かすためのタルト生地はどうか、クリームはどうか。「同じフルーツ、同じ品種でも時期によって食感も糖度も異なるので、それにより生地やクリームの内容も変えます」と朝田さんはこともなげに言う。「それができるのが大量生産の製品ではない、僕らのような個人店の一番いいところ。それこそがパティシエの仕事だと思っています」
チョコレートは、特に朝田さんの思い入れのある素材だ。なにしろ30年以上のホテル勤めを経て2011年に自分の店を立ち上げた時、「食べたいものを作ろう」と考えたら、自然に店頭に多く並んだのがチョコレートを使った菓子だったというのだ。
「子どもの頃からすごく身近にあるお菓子だけれど、プロになってこの食材に接してみると思いもよらない奥深さがあった」と言う。風味、香りがまるで違うものが数えきれないほどあり、同じカカオ豆でも焙煎(ばいせん)方法で味が変わり、チョコレートの製造の仕方で舌触りが変わった。勉強をすればするほど、驚きが増す。
製造現場を見たいと国内外のチョコレートメーカーの工場にも行ったが、カカオ農園には縁がなかった。長い間主な農園は、日本から遠い南米やアフリカに限られ時間が取れなかったからだ。そこに訪れたのが、先のベトナムの農園視察の話だった。そこで作られた製品が発売される前、2014年7月のことだ。ホーチミンから車で2、3時間かけたどり着いたのはジャングルのような場所。
「実は、行く前はあまりベトナムに対していいイメージはなかった」と朝田さんは明かすが、品質や生産量を上げようと真剣に仕事に取り組む生産者の姿を見、農園から加工所に運ぶため山のようにカカオを積んだバイクにもまたがってみた。じんわり生産者の思いが伝わってきた。
ベトナムのチョコレートに出合う前、朝田さんがチョコレート菓子を作る際には、自分が作りたい菓子のイメージが先にあり、それに合ったチョコレートを選ぶことが多かったという。しかし、農園にまで赴いたベトナムのチョコレートに関しては、この素材を一番生かすにはどうしたらいいかと考えた。フレッシュフルーツと同じ感覚だ。「味わいなどに関するアドバイスもしたので、思い入れもあったんですよね」
出来上がったベトナムのチョコレートはフルーティーで芳ばしさもあり、バランスが良かった。溶かした時ももったりしすぎず、水のようにさらさらしてしまうこともない。理想形に近く使いやすいチョコレートだった。どんな菓子を作ろうか――。最初はムースにしたり、フルーツと合わせたり。試行錯誤を重ねる中、「このチョコレートをストレートに食べてもらいたい」という思いが湧いてきた。そこで思い付いたのが、小麦粉を一切使わない「チョコレートケーキ」だったのだ。
「焼きショコラ~極~」は一見シンプルに見えるが、繊細な作業の積み重ねからできる。オーブンで焼いた薄いチョコレート生地を重ねた菓子で、生地の外側だけカリッとすることなく全体を均一に焼くための工夫を重ねている。新聞紙を敷き水を張った縁付き鉄板の上に生地を流し込んだもう1枚の鉄板を載せ、焼くようにしたのだ。「こうすると、火の当たりが軟らかくなり、外側と内側の食感が均一になる。焼き上がった時にちょうど水がなくなるぐらいに調整しているのですが、これだという焼き具合にするため鉄板に入れる水の量だけでもかなり色々試しました」(朝田さん)。
焼き上がったら2枚の生地を熱いうちに重ね、蓋をして蒸らす。こうすることで互いの熱で2枚がしっかりくっつくのだ。生地は一晩寝かせ、翌日同じベトナムのチョコレートで作ったガナシュ(生クリームと合わせたチョコレート)を薄く塗って、同じ生地を重ねる。それから生地をケーキ1個分サイズに切り分け、チョコレートでコーティングし、仕上げの艶出しチョコレートをかけてクリームをトッピングすれば完成。使用する生地の1枚にはチョコレートチップを入れているので、食感も楽しめる。使用食材はシンプルなのに華やかさのある一品だ。仕事の合間に試作を重ね約2カ月かけて完成したそうだ。
「焼きショコラ~極~」からは思わぬ「派生商品」も生まれた。
この菓子を作る際は、サイズの関係から生地の端がどうしても少し余る。そこで、これを生かした菓子を作ろうと別のチョコレート菓子を考案。ベトナムのチョコレートで作ったムースとチョコレートクリームを組み合わせた「トロワ ガーデナー」(ガーデナーはベトナムのチョコレートの製品名)が誕生したのだ。
焼きチョコレートとふんわりとしたムース、コクのあるチョコレートクリームの三重奏は、「極」とは別の楽しさを持つお菓子だ。「もともとは余りもので作っていたお菓子ですが、今ではこれを作るために生地を焼かなくちゃいけなくなっています」と朝田さんは笑う。
「僕がやりたいのは駄菓子屋なんです。子どもの頃、30円とか50円とかを手に握りしめておばあちゃんがやっているお店に行き、『何を買おう』とワクワクしながら選ぶのがすごく楽しかった。だから、『あそこに行ったら何かワクワクするものがあるよね』とお客様に思ってもらえる店にしたい。だから、ケーキもどんどん変わるんです」。「焼きショコラ~極~」から、「トロワ ガーデナー」が生まれたように、これからも客を心から楽しませるチョコレート菓子が誕生するに違いない。
(フリーライター メレンダ千春)
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