対談に臨むWEF名誉会長の尾原蓉子氏(左)とデザイナーの皆川明氏 ファッションビジネスの世界で長年活動してきた尾原蓉子氏が、関わりの深い経営者やデザイナーらとの対談を通じ、キャリアの壁をどう破るかを探っていく連載。最終回となる4回目はものづくりへのこだわりが詰まったブランド「ミナ ペルホネン」を展開するミナ(東京・港)の皆川明社長と、仕事との向き合い方について語り合った。
■主流の反対側にも答えがある――慣行の壁
――素材から手作りをするなど、ファッション業界の主流とは一線を画す皆川さんのスタイルに、尾原さんもずっと注目してきたそうですが、どのような考えが基本にあるのでしょうか。
皆川明
1989年、文化服装学院卒業。95年に服飾ブランド「ミナ」を設立、2000年直営店をオープン。03年ブランドを「ミナ ペルホネン」にあらためる。06年に「毎日ファッション大賞」の大賞を、16年には芸術選奨新人賞をそれぞれ受賞。生地からデザインする服やインテリアは高い評価を得ている。 皆川 ファッション業界では、安い労働工賃で大量生産し、期末にセールをして廉価で大量販売するのが大きな流れとなっていますが、それは私たちの目指す価値基準ではありません。セールをしない、国内で生産する、素材を吟味して作る――これは、労働にもしっかりと価値をつけて経営の健全性を持たせたいからです。良いデザインとは、消費者だけにメリットがあるのではなく、それを作るプロセスの中で良い労働が生まれ、作り手も生活の糧と作る喜びが得られるものだと思うのです。
これは、今の市場経済の大きな方向性とは逆を行きますが、その分、競争がほとんどなく、私たちの方法論を貫きやすい。何も隠すことがないので、お客様に知っていただくときにも楽な気持ちでいられます。
尾原 競争が少ないとのことですが、作る人も、消費者も、社会環境もみんなハッピーになる行き方は素晴らしいし、同じようなことを試みる人も多いはずです。しかし、それが長続きしない理由はどこにありますか。
皆川 1つには、素材づくりから自分たちで受け持つと、それだけ時間と労力とマネジメントが増え、プロセスが複雑になるからです。また、人は多くの場合、過去の事例を参考にしてしまいます。アパレルや小売りが大きな利益を享受し、上流工程の作り手はギリギリの採算といういびつな利益分配を「そういうものだ」と思い込み、自社の利益を多く集める方向へと流れてしまう。そうではなく、他者の利益はお互いに共存するための大事な要素だと捉えて尊重する意志さえ持てば、必然的に相手から信頼されます。信頼があれば、作りやすい環境が手に入り、そこから良いものが生まれ、競争力があるから、よく売れる。それを信じて実践するだけです。
私は、物事を解決する方法論は1つではなく、多数派が支持する答の反対側にも別の答があると思っています。実証されたものに集中するのではなく、その逆を進んで、自分で答えをつくったり、わからなかったことを解明していくのは、とても面白いことです。
尾原 生地や縫製の工場は繁忙期と閑散期の波が激しいという問題を抱えていますが、皆川さんは、閑散期にインテリア用生地を発注するなどして、工場の稼働率の平準化や収益の安定化にも配慮されているところが素晴らしいですね。持続的なものづくりと「100年着られる洋服」という長い目線でのブランドコンセプトを見事に成立させています。以前、「デザインの寿命」にこだわる理由について皆川さんに伺ったときに、お客様の利用価値、作り手のメリット、社会貢献という3つの理由を挙げていましたね。
■愛着があれば長く大切に使う――持続可能性の壁
尾原蓉子
一般社団法人ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション創設者・名誉会長。1962年東大卒、旭化成工業(現旭化成)入社。米ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)に留学したほか、米ハーバード・ビジネス・スクールの経営者向けコース(AMP)も修了。財団法人ファッション産業人材育成機構が運営するIFIビジネススクールの学長など歴任。近著に「Fashion Business 創造する未来」(繊研新聞社)、これと2部作となる「Break Down the Wall 環境、組織、年齢の壁を破る」(日本経済新聞出版社)。 皆川 お客様の利用価値を考えた場合、長く使うほど、支払った対価の時間当たり金額は下がっていきます。たとえば、10万円の椅子は高額のようですが、30年(約1万日)長持ちするなら、1日当たり10円の投資です。安物ではなく、10万円の価値がある立派な椅子が毎日の暮らしの中にあることは、精神的な充実にもつながります。さらに、アンティークやビンテージ品がそうであるように、良いものほど価値は劣化しにくいのです。その後、リセールする場合にも、価値を維持しながら再販できることもあります。
そうした良いものを作るには、時間をかけて吟味し、技術を熟練させていく必要があるのですが、それによって作り手の心も技術も充実します。ただ機械的にたくさん作るよりも、自分の人生をかけて良いものをじっくりと作るほうが、喜びがあると思うのです。
尾原 大量生産して、セールで安く売りさばき、飽きたら着捨てる風潮へのアンチテーゼですね。最近とみに、ファッション商品の売れ残りや在庫処分の仕方が問題になっています。
皆川 私が大量生産を否定したくなるのは、一度に大量に作って、余ったら捨てるからです。長い時間かけて少量ずつ作り続ければ、飽きないペースでコンスタントに物作りができ、結果的に良い大量生産ができます。たとえば、私たちはファッションのブランドでありながら同じ柄を長く作るのは、積み重ねによる「長期的な大量生産」を目指しているからです。
社会貢献についてですが、リサイクルやリユースで物質を循環させると、水や熱などのエネルギーを大量に使うので、変えずに長く留まるもののほうが社会のためになります。そう考えると、エネルギーや環境の問題を議論する以前に、それが使い手や作り手の心にどのくらいよく作用するかを見たほうがいいと思います。洋服の場合、ジャストサイズであることや時代の雰囲気と合うことよりも、愛着こそがずっと着続ける理由となります。作り手が誠意をもって作り、そこに込めた思いや素材や柄のストーリーを伝えていくことで、お客様は好きだと感じ、長く愛用してくださるのです。
尾原 捨てずにリメイク、リユース、リサイクルするのもいいことですが、モノの価値を心情的に評価し、生活の中で生かす形で環境対応を考えるのは、本質を突いていますね。
その点でいうと、私たちは日本の着物の歴史をもっと再認識したほうがいいと思います。たとえば、着物の生地は浴衣地も含め、伝統的に細幅の織物です。これを、ハサミを入れる箇所を極力少なくしながら着物に仕立て、何度もほどいて洗い張りし、染め直し、さらに子供用に仕立て直すなど、何回も異なる形で御用をつとめます。貴重品の絹であれば、ヨレヨレになってもハタキにして使い、最後は細かく切ってしっくいに混ぜて建材とし、最終的に土に戻す。そうやって自然と共生してきました。自然の恵みと人の営みが生み出す新しい価値をどれだけ正しく評価するかは、私たちの生き方にかかっているのです。
尾原 私が近著で「壁」を破ることをテーマに取り上げたのは、キャリアの「天井」とすると、ものすごく上昇志向でプレッシャーも大きく思われるからです。打破する障害は上位の役職に就くためだけにあるのではなく、新たな事業や新しい分野への挑戦で直面するものが多い。壁はあちこちにあって身近でもあります。皆川さんご自身は、これまでに最大の壁と感じたものは何ですか。
■向いているかではなく、目の前のことに向き合う――キャリア形成の壁
皆川 楽観主義なので、あまり壁だと思ったことはないのですが、物作りの現場をしっかり残そうという意味では、分厚くふわふわした「霧の壁」があって、その中をさまよっているような感じがします。霧がかかって遠くまで見通せないけれど、少し前は見えるから、歩いていける。前に進んでいけば、いずれは抜けられるだろうと思っています。
尾原さんの本を読んで私がいいと思ったのは、壁を破って成功するための方法論ではなく、いかに仕事と暮らしを両立させて、自分らしく生きるかという「意識」に触れているところです。これは、男性も女性も、若い人やキャリアを積んできた人にも大切なことです。
尾原 「仕事とくらしの本」と言っていただき、とてもうれしいです。人は仕事をしながらより良いくらしをつくって、生きている実感と達成感、幸福感を得るものだと思っています。
――働くうえで、私たちはどんな意識を持てばいいのでしょうか。
働く喜びや持続可能性について語り合った 皆川 働く喜びは、社会との接点を持てることにあります。社会ではいろいろなハプニングが起こりますが、それを楽しい環境だと思えばいい。それが前提にないと、やらされ感や対価への不満ばかりが募ります。予想外のことが起こる環境だと認識していれば、それなりに納得できますから。
尾原 働く環境はいろいろなことが起こるから楽しいというのは同感ですが、まだ自分の得意なことが見つからず、何が向いているかわからないと、その手前で立ち止まっている人も多い気がしますね。
皆川 「何が向いているか」を考え始めた時点で、「すべてに向かない」という不安が生まれます。向き不向きという価値基準からいったん離れて、目の前のことにどう向き合おうかと考えていけば、何十年か後に振り返ったときに、豊かな人生経験を積めているはずです。働く姿勢をいかに身に着けるかの問題だと思うのです。
もう一つ大切なのが、お金はビジネスの道具にすぎないので、それを労働の目的にしないこと。働く対価としてもらった道具を使って、どう自分を豊かにするかが問われるのだと思えば、道具の多さや素晴らしさを追わずに、持っている道具の生かし方を考えられるようになります。
尾原 「お金を労働の目的にしないこと」は本当に大切なことですね。purpose(目的)をもって生きること。その「目的」に関わる活動が自分を成長させ、社会への貢献にもなり、生きがいをもたらす。これからは、そんな潮流が時代を動かすように思います。また、皆川さんが言われた「事を解決する方法論は1つではなく、多数派が指示する答の反対側にも別の答がある」というのも、素晴らしい考え方で、本当にその通りです。
この対談シリーズに登場いただいた皆さんが強調されたのは「物事の選択肢は多種多様であり、すべての個人はそれぞれの個性を持っている。他人と違う道を開いて自分の存在感を明示し、磨きをかけて自分のキャリアをつくってほしい」ということでした。読者の皆様が「キャリアの壁をどう破るか」について何かのヒントを得ていただいたとしたら、うれしい限りです。
(文・構成 渡部典子)
本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。