好きな道を貫くには 土俵を変えてユニークさで勝負
WEF名誉会長・尾原蓉子氏×一橋大学名誉教授・石倉洋子氏
対談する石倉洋子氏(左)と尾原蓉子氏
ファッションビジネスの世界で長年活動してきた尾原蓉子氏が、関わりの深い経営者やデザイナーらとの対談を通じ、キャリアの壁をどう破るかを探っていく連載。3回目は、グローバル人材の育成に尽力してきた一橋大学名誉教授の石倉洋子氏と、キャリアデザインや人生100年時代の生き方について語り合った。
活躍の場は自分でつくる――男社会の壁
――尾原さんと石倉さんはまだ働く女性のロールモデルが少ない時代にキャリアを歩み始めましたが、お互いの印象やキャリア観について教えてください。
石倉洋子
1971年上智大卒、フリーの通訳に。80年米バージニア大大学院経営学修士(MBA)取得。85年米ハーバード大ハーバード・ビジネススクール経営学博士取得。同年マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社入社。92年青山学院大学教授。2000年一橋大学大学院教授。11年慶応義塾大学大学院教授。12年一橋大学名誉教授。日清食品ホールディングス、資生堂などの社外取締役も。
石倉私が尾原さんと出会ったのは、大学を卒業後まもなく、旭化成FIT(ファッション・インスティテュート・オブ・テクノロジー)セミナーで通訳の仕事をしたときです。10歳年上の尾原さんは、私が初めて出会ったキャリアウーマンでした。当時は、男のように働き、「私が」「私が」と前に出る人が多かったのに対し、尾原さんはとても自然体で、バランスがとれていていいなと感じました。
尾原 それはたぶん、高校時代に米国留学をしたときに、女性がきれいにお化粧して、無理をせず、できる範囲で楽しそうに働く姿を見たからだと思いますね。女性であることを捨ててまで、男性と同じ土俵で競って、出世の階段を上がる必要はない。せっかくなら、結婚して子供も持ってみたい。そうであれば、ゼネラリストの道を目指すよりも、専門職で、人のやらないことで自分の居場所をつくろうと早い段階で気づきました。
他の人と同じことをすれば優劣がつきますが、新しいことならオンリーワンになれます。新しい場所や領域を切り開くのは大変ですが、それだけやりがいもあります。石倉さんも自分の場所をどんどん切り開かれてきましたよね。
石倉 男性と同じ道を踏襲しても意味はありません。必要だけれども、あまり人がやらないことをしようと、私は常に「何が自分のユニークさなのか」を探してきました。自分の好きなことをしながら、そこからどう差別化しようかと考えるのです。事業戦略でも差別化が大切ですよね。ただし、単に違うのではなく、それに誰かがお金を払ってくれるような価値を出さないといけません。
もう1つ難しいのが、最初のうちはユニークでも、周りの環境が変わると、ユニークさが薄れてしまうこと。たとえば、毎年スイスに世界のリーダーが集まるダボス会議でも、最初の頃は積極的に発言する日本人女性がいなかったので、私は存在感を示せました。ですが、アジア各国に勢いが出てくると、女性登壇者が増え、みんな話がうまいのです。日本の地位は下がる一方で、私には勝負する武器がない。私は基調講演をするタイプではなく、モデレーターやパネリストとして参加者の多様な意見をそれぞれ立てながら議論をまとめていくとか、他の人とは違う視点で意見を述べる役割が期待されてるようだと気がつきました。それを踏まえて、どういう土俵で、何で勝負すればいいかと随分考えました。これは、講演やセミナーに呼ばれるときに、いつも考えることです。