剣道で集中力を鍛えたことは、後に外科医の仕事をしていても役に立ちました。手術と剣道はどこか似たところがあり、要は意識を集中するという点が共通項のわけです。手術中は高いレベルで緊張を強いられる。その最中はそのこと以外考えなかったので、あまりきついという感覚はなかったですね。

「高校のときから、宝物を集めるような感覚で気に入った文章をノートに書き写すようになった」と振り返る

モノを書くことは好きなので、作家の仕事はきつくありません。手術のように1時間以内に終わらせるという区切りもないし。剣道で培ったものは他には基礎体力ですね。

高校時代を振り返ると、剣道以外のことはあまり覚えていません。何かの障害にぶつかってイライラすることはありましたが、個々のことは今では忘れてしまっています。昔のことは今の僕には手を出せないエリアにあるので、考えても仕方がない、と諦めがいいんでしょう。今現在は、頭の中は書くことで目いっぱいです。別に昔の恥を隠そうとしているわけではありませんよ(笑)。

いい文章は「宝物」。ノートに書き写した。

中学から大学にかけての学生時代には、本はそれなりに読みました。年間100冊くらい。10月に80冊ぐらいに到達すると、最後の2カ月は無理して20冊読んで100冊に到達させる、といった感じです。学生時代は「オレはすごい読書家だ」と思っていたのですが、書評家の方など、けた違いに読んでいる人たちがいると知った今は、とてもそんな風には言えなくなりました。まあ、その程度の「読書家」です。

小学校の頃はテレビ番組の「刑事コロンボ」に夢中になり、中学生のときに小説版が出て、図書室に毎月2冊入荷してくる。なので待ち構えていて、一番に借りました。母校の図書室に貸出カードが残っていたら、あのシリーズの本の最初の日付は全部僕のものです。高校のときには海外ミステリーに夢中になりアガサ・クリスティやエラリー・クイーン、ディクスン・カー、少し毛色が違うレイモンド・チャンドラー辺りに没頭しました。

中学から読書録リストを作り、読了日だけ記録していました。高校からはそれと別に、気に入った文章をノートに書き写していました。いい文章を見ると書き写したくなるんです。きれいなもの、かっこいいものを集めたいという、宝物を集めるみたいな感覚でした。長編1冊で、2、3カ所とか、そんな程度でしたけど。

たとえば「マルテの手記」やプルーストの「失われた時を求めて」、ドストエフスキーの「罪と罰」などの一部を書き写したことは今も覚えています。こう言うと「まるで古今東西の名作を読破した文学青年みたいだ」と思われてしまうかもしれませんが、1冊の中で割とたくさんのフレーズを書き写したのがそういう本だったというだけです。ミステリーだと「犯人はお前だ」みたいな話で、抜き書きする部分はほとんどないんです。チャンドラーはちょっと別でしたけど。そうしたノートは5、6冊になりました。