灘高で学んだ「人は人」 エンジェル投資家・谷家氏谷家衛・あすかホールディングス会長が語る(上)

ただ、灘には、私だけでなく、好きなことしかせず、勉強をしない生徒が結構いました。

「灘の生徒は、人は人、自分は自分という考えの持ち主が多かった」と振り返る

例えば、英語の授業で「星の王子様」を訳す宿題がありました。勉強嫌いのあるクラスメートが違うクラスの友達からノートを借りて、みんなの前で読み上げたのですが、実はそのノートが汚れていて、「王子」が「玉子」になっていたのです。それに気付かず、いきなり「星の玉子は」と訳し始めたので、クラス中が大爆笑。その手の話は枚挙にいとまがありません。

中高と、テニス漬けだった。

勉強の代わりに一生懸命だったのがテニスです。中1から引退する高2までずっとテニス部でした。平日は、授業が終わると暗くなるまで練習。土日も学校に行き、練習しました。灘は、テニスはわりと強く、私も高校時代は、個人戦で県大会のベスト32か16まで進んだことがあります。

強いだけに、練習は結構ハードでした。上下関係も厳しかった。例えば中1の時は、1年間ほとんど球拾い。練習時間の最後の5分間だけボールを打たせてもらえるのですが、暗くてボールはほとんど見えません。お陰で、電車の中で字を書くことと、暗闇の中でボールを打つことだけは得意になりました(笑)。

とにかくテニス漬けでしたが、定期試験前に部活動が1週間の試験休みに入った時も、勉強せず友達と本屋でマンガを立ち読みして過ごしていたので、テニスに忙しくて勉強する時間がなかったという言い訳はできませんね。

中2になると、球拾いの仕事はなくなり、コートの周りに立って先輩が打ち合うのをひたすら見ているのですが、おしゃべりは厳禁。でも私は我慢できずに隣の人とおしゃべりをして、それを先輩に見つかりよく怒られました。それでもテニスはとても楽しくて、灘時代の一番の思い出です。

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