ベルリン音楽祭の挑戦 現代音楽の精髄に迫る

救いのない世界に続いたのはブルックナーの9番。ゲルギエフは恣意的な解釈を避け、音楽を自然な流れにまかせた。ミュンヘン・フィルの重厚な弦楽の海に管楽器が溶け込み、同質的で豊潤な響きを醸成。どっしりと腰のすわった安定感に包まれた。アダージョ楽章の絶対的な落ち着きの中での霊的変容の妙。存在そのものの鼓動と呼吸に宇宙創造の秘儀を聴いた。ミュンヘン・フィルが培ってきたブルックナー伝統にもとらぬ大人の音楽に、魂が浄化された。

100分を超える最長の交響曲

賢明にも個我を抑えたゲルギエフのブルックナーに対し、ネルソンスはマーラー3番においてボストン交響楽団を自在に操り、才気煥発(さいきかんぱつ)ぶりを発揮した(6日)。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス合唱団と同少年少女合唱団も好演。冒頭、コントラバス10本を駆って決然と歩む行進曲からして圧巻だった。第1楽章だけで30分、全曲で100分を超える最長の交響曲。壮大かつ多彩な世界が劇的に展開してゆく。

ネルソンスは随所に分析的な解釈を加え、ルーペでのぞくように細部を際立てるが、無機的な知性ゲームには陥らない。他方、憧れに満ちたメロディーでも表層の気分に流されることはない。ポリフォニーの万華鏡に興ずるうちに、天使の翼にのって大宇宙と一体化している自分と出会う。おののきをはらんでたゆたう終楽章の、しかし究極の安らぎの中で、マーラーの9番につながる霊感に何度も襲われた。ボストン響も絶好調だった。

ツィンマーマンのヴァイオリン協奏曲を弾き終えたカロリーン・ヴィドマン(Stephan Rabold撮影)

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮によるベルリン・フィルのプログラムは深い印象を焼き付けた。(13日)。1950年に初演されたツィンマーマンのヴァイオリン協奏曲には、第2次世界大戦に従軍した作曲家の記憶が生々しく刻まれている。第1楽章の激しい戦闘の音楽から一転、ファンタジア楽章がチェレスタの夢幻で始まるが、それもつかの間、「怒りの日」のモティーフを伴って銃撃戦の悪夢がよみがえる。深い絶望の音楽が死の世界へと沈む。ロンド楽章もまた変拍子の戦闘シーン。凄惨な描写音楽が救いを求めるのはルンバのリズムだ。現代物を得意とするカロリーン・ヴィドマンの独奏は、並外れた技量と表出力で難曲を自家薬籠中のものにしていた。

後半のプログラムはロトの知性とセンスが光るオリジナル。ドビュッシーの「管弦楽のための映像」(1912)の曲間にリゲティの管弦楽作品を挿入し、60分の緻密な交響組曲に仕立てあげた。スコットランド風の「ジーグ」の後にリゲティの「ロンターノ」(1967)が休みなしで続く。両者の冒頭の酷似には驚いた。音楽を構成する諸要素のうち、リゲティはリズムとメロディーを捨象し、音色(和声と楽器法)と強弱と緊張度を際立てる。後半では動きが止まり、笙(しょう)のような儀礼音楽の静寂へと集中。やはり休みなしにフランス風の「春のロンド」が続く。その空気感とリズムと音色の、何と新鮮なことか。

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