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リーダーの母校

世界へ飛び出す原点は青学初等部 現代音楽の望月京氏 作曲家・望月京氏が語る(上)

2018/10/29

ほかにも毎年、宿泊体験があって、1年は「なかよしキャンプ」、2年は「農漁村の生活」、3年は「山の生活」など、それぞれちゃんと目的があって名前がついていました。地引網でイワシを捕ったり、遠泳したり。よく記憶に残っています。自分たちでご飯を作るなど、みんな興味津々でしたね。スキーの「雪の学校」は3年生から毎年です。3~6年生と先生がたが混じって班に分かれ、ロッジで擬似家族のように過ごしました。お留守番の1、2年生は見知らぬ上級生2人にはがきを出すことになっており、返信やおみやげを心待ちにします。自分が上級生になった時には、はがきをくれた下級生に返事を出し、おみやげを買って帰りました。スキーだけでなく、そうしたクラスの友人以外との縦横の関係性の構築も重視されていたのでしょうね。

海外に留学したとき、直接的に役立ったこともいくつかあります。キリスト教の学校だったので、聖書の何章何節にこういう言葉があったな、というのを覚えていて、ヨーロッパの宗教音楽は理解しやすかったです。ネイティブの先生による英語の授業も小2からありました。そのクラスではみんな先生に付けられた外国の名前で呼び合っていて、私はヘレンだったんですけれど、外国語で知らない国の人たちとおしゃべりする楽しみを小さいころに知りました。大学院での留学先はパリで英語圏ではなかったのですが、海外でも物おじせずに話せました。別の学校の友人は、留学してまず物おじせずに話すのが大変だったと言っていたので、初等部のときに経験したことが、その後いろんな形で役立ったと思います。

通知表もなかった。

のびのびした小学校で、そういえば通知表もありませんでした。成績のような判定や比較がなかったですね。その代わり、感じたことを先生とやり取りする「なんでもノート」は保護者も目を通して判を押すことになっており、その日に習った漢字の練習帳や、先生と保護者との間の連絡帳も兼ねていました。それを通して、よくコミュニケーションを取っていたようです。ちょっとしたいじめのようなものも、こういう日常的な連絡帳なら書きやすいし、子どもの記述からも読み取りやすいですよね。いつも大ごとになる前に対処されていたと思います。

実は、学校の授業がどんなだったかや何を習ったかは、ほとんど覚えていないんです。でも、先生や友人とのやり取りはよく覚えています。先生がコメントを返してくださったノートや宿泊体験などが鮮やかに記憶に残っているのは、先生や友達との人間的な触れ合いが、生の形であったからかもしれません。今考えると、重要なのは教科ではなく、人なんですね。教科は媒介に過ぎなくて、先生や友人との内面的な接触を通じて育っていくのが一番重要だったのかな、と感じています。

(ライター 高橋恵里)

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