小学4年生からは中学受験を見据えて「日能研」という進学塾に通いました。教育熱心な親で、学校の授業についていくのが大変ということはありませんでしたが、塾ではやはりトップの学生と差が出てきて辛かった覚えはあります。上位20%には入ったけど10%には入ってなかった。10歳年上の兄がいて、兄は聖光学院から東大に現役合格という、まさにエリートだったので、それに追いつきたい気持ちもありましたね。

1年弱の短期集中の受験勉強で、聖光学院とサレジオ学院を目指した。勉強が楽しくなり、教師の夢も芽生える。

「保守的な一方、先生にはおおらかな人が多かった。おかげで文化祭では前例にないことを実現できた」と振り返る

歌舞伎を辞めた後、次は学業でトップを目指したいと考えていました。家から通える範囲の神奈川県の進学校である聖光学院とサレジオ学院を目指しました。ゆくゆくは兄が通う東京大学に行きたい、そのためには進学校に行こうと決めていたからです。

小5で「引退」し、受験勉強の期間は1年足らず。6年生の頃は勉強ばかりでした。ずっと役者生活だったので友達は少ない方でした。ですから友達と一緒に勉強するというよりは、独自のスタイルで楽しみながらやるのが僕の方法でした。

例えば勉強が終わったらカードにスタンプを押して自分でポイントカードを作って、今日は10P目標にしようとか。問題集も○や×を毎回付けて、全部正解で100点満点と仮定したら70点だった、それなら間違えたところは参考書を見て、自分が他の人に教えるように音読しようということをやっていました。

第1志望である聖光は不合格でしたが、なんとかサレジオに入学。サレジオに入学してからも勉強は頑張っており、成績も上位に入っている方でした。受験勉強のときと同様、「勉強は楽しくやる」というモットーでやっているうちに、本当に楽しくなり、中学か高校の先生になるというのが将来の夢になりました。歌舞伎をやっていた頃に、後輩に勉強を教えてあげていたりして、それで感謝されたことがうれしかったということもきっかけです。

高校2年生のときに文化祭の実行委員長を務め、前例にないことをやろうとした。

強い思い入れがあって入った学校ではありませんでしたが、歌舞伎という伝統の世界を「引退」して、新しいことをやりたいと思っていた僕にとって、格好の場だったのかもしれません。