LITALICO執行役員の深沢厚太氏 東大出身、元マッキンゼー・アンド・カンパニーのコンサルタントという経歴を経て、障害者支援を手掛けるLITALICO(りたりこ)で、発達障害や学習障害を持つ子どもに対する学習・教育支援事業に取り組む執行役員の深沢厚太氏。高校時代、同級生の死をきっかけに抱いた教育への志を、常に再確認することでキャリアを切り開いてきた。意志を貫くことを、可能にしたものは何だったのか。(前回の記事は「『教育とは変化を起こすこと』 高校での悲劇胸に挑む 」)
■毛嫌いされながらも伝えた熱意
大学時代の教育実習で、憧れていた教師の道に違和感を覚えた深沢氏。新卒で飛び込んだのはコンサルティング業界だった。経営コンサルといえばスマートなイメージが強いが、自ら手を挙げて数多く取り組んだのは工場など現場の生産性改善にかかわるプロジェクトだ。
「例えば製薬企業の工場であれば、薬のタブレットを作り、パッケージングし、さらにそれを収める箱を作り、詰めて出荷へ――という一連のラインがある。各工程に掛けるコスト・時間を削減する方策を考え、現場のスタッフへ提案するのが仕事です。流れてくる箱の位置の微調整など、無駄の削減を秒単位で積み重ねることで、大きな生産性向上につながります。地道な仕事ですよね」
“何となく続けてきたこと”を変える。経営層は改革に乗り気でも、現場のスタッフには「ピンときていないことも多い」。作業服を着て現場に入ると、初めは毛嫌いされた。それでも、一緒に食事をしたり、他愛のない雑談を重ねたりしながら、相手の懐に入り込んでいった。
「関係ない話をしているときに相手から、『あのライン、もうちょっとこうすりゃいいんだけどな』というアイデアがこぼれてくることがあるんですよ。そこを『今、めっちゃいいこと言いましたよ!』とすかさず拾う(笑)。それでも相手の反応は薄いことも多いんですが、実際にやってみて、成果が上がるとだんだん前向きになってくる。1人が変われば、2人が変わる。赤字工場が息を吹き返していく。それは自分がやりたかった、教える側と教えられる側の区別がない、対等な“教育”の在り方に通じるところがあった。とてもやりがいがありました」
一方的に主張を押し付けるのではなく、相手の意見を引き出す。小さな成功を積み重ねながら、徐々に周囲を巻き込んでいく。コンサルで培ったスキルを教育の現場で試したいという思いが強まり、マッキンゼーを退職して取り組んだのが教育NPOの設立だ。
■名刺さえ受け取ってもらえない日々
苦しみを抱える人の居場所をつくりたいと語る 特別免許制度を活用し、社会人を教壇に送り込むNPO法人Teach For Japan。立ち上げ当初の常勤スタッフは、代表と深沢氏の2人のみ。教育現場での実績も、大企業社員の肩書もなく、回る先々で話を聞いてもらえないことが続いた。「名刺さえ受け取ってもらえないことも珍しくなかった」
「活動実績がない団体を学校現場に入れることはできない、と。それならまずは、学外で実績をつくるしかないと考えました。公共スペースを活用し、貧困世帯の子どもたちに大学生が授業を教える“寺子屋”活動をスタート。ちょうど東日本大震災が起きた直後、同じ枠組みで被災地から東京へ避難してきた子どもたちを“寺子屋”で支援したことがきっかけで、少しずつ世の中に活動を知ってもらえるようになりました」
ゼロから始まった組織の共感の輪は広がり続け、ボランティアスタッフの数も100人規模まで膨らんだ。
「ミッションに向けて、やるべきだと思うことを素直に実践する。僕は僕の実力だけで勝負するしかないんだ、と気負っていた部分も初めはありましたが、思いが伝わればいろいろな人が力を貸してくれるということは意外な発見でした」
■社会課題の解決を仕事にするということ
しかし、活動が軌道に乗る一方で、NPO活動で生計を立てていくことの難しさにも直面していた。
「寄付は集まるようになっても、それはあくまで活動のためのもの。月収数万円の生活を1年ほど続ける中で、社会課題の解決に人や資金が集まりにくい日本の現状に、疑問を持つようになりました」
2年間の海外留学を経て、再びマッキンゼーで働きながら「社会的なインパクトと、持続可能性という意味での経済的なインパクトを両立できる場所」を探していたとき、出会ったのがLITALICOだった。株式会社として、資金、テクノロジーなどの資源を効率よく投下できる。事業開発の自由度が高まれば、新たな人材も巻き込める。
2015年8月、知人に紹介された同社の長谷川敦弥社長の言葉を聞いたときのことを、深沢氏は「ガーンと打たれるような衝撃があった」と振り返る。
語られたビジョンは「障害のない社会」をつくりたい、というものだった。例えば、今の社会に眼鏡やコンタクトレンズがなかったら、「障害者」としてカテゴライズされる人は増える。障害は人ではなく、社会の側にあるもの。だからこそ、そこに技術やサービスが介在することで皆が「居場所」のある社会になる、と。
それは、まさに高校時代、教育の道を志す原点となった「苦しさを抱える人の居場所をつくりたい」という思いにつながるものだった。
2016年3月に入社。早々に取り組んだ「発達障害に関する知識のある教師を増やす」署名活動は、国の方針の転換につながった。具体的には、少子化で教員定数を減じる傾向にある中、発達障害のある子らが学ぶ「通級指導」の教員配置に限り「以後10年間で段階的に増やす」ことになったのだ。
■変わる教育環境にどう臨むか
子供を認めて伸ばす教育を実践したいという 「保護者数十人に現状や要望をヒアリングした上で、署名3万人を目標に活動を展開しました。経験から言って、思いは訴えるだけでは伝わらない。相手に分かりやすく対案を提示すること。そしてこれは個人の問題ではなく、社会全体の問題なのだというエビデンス(根拠)を明らかにすること。さまざまな関係者に意見を聞き、皆で作り上げていったのが成功の背景にあったと思います」
こうした活動や、「LITALICOジュニア」事業を通して保護者と交流を重ねる中で、深沢氏は決意を新たにしている。
「相談できる場所が少ないぶん、LITALICOが頼みの綱としての役割を果たしている。現状、展開する教室数が利用希望者数に追い付いていないことで、保護者からクレームが寄せられることもあります。でも、丁寧に話を聞いていくと、それも期待の裏返しであることが多い。一人ひとりの声を受けとめながら、よりよいサービスにしていきたい」
発達障害に限らず、子どもたちを取り巻く状況は交流サイト(SNS)などの浸透で大きく変わったとみる。
「20年ほど前であれば、学校にいるときの自分と、帰宅した後の家にいるときの自分は切り離すことができました。でも、ツイッターや写真共有アプリのインスタグラムなどによって、人間関係も含め“学校”と“家”の自分を区別しにくくなっているのが現在の子どもたちです。あるいは、少し間違ったことを言ったら過剰に世間からたたかれるなど、同調圧力が社会全体で強くなっているような気がします」
そうした認識を踏まえ、拡充に取り掛かっているのが「子どもを中心にした包括的な支援」だ。教室を展開する中で得た同社の支援スキルや知見を、保育園・幼稚園、学校を訪問することによって、日々子どもと関わる教員などへ伝えていく。また、ペアレントトレーニングとして、保護者が子どもの成長段階に合わせた接し方を、講習を通して学ぶプログラムも開始している。
「LITALICOの指導教室内だけでなく、保育園・幼稚園、学校、家庭など、いつでもどこでも適切なサポートが受けられるようにしたい。一人ひとりに寄り添い、認めて伸ばすという教育を、これからも実践していきます」
道は、自分の後ろにしかできない。キャリアの語源は、車の「轍(わだち)」だといわれる。それでも“道標(みちしるべ)”としてのビジョンを持つことの重要性を、深沢氏の働き方は教えてくれる。
深沢厚太 東京大学文学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、製造業のオペレーション改善などに従事。NPO法人Teach For Japanの立ち上げに参画。カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスにてMBA取得後、マッキンゼーに復職。2016年3月、株式会社LITALICOに入社。
(ライター 加藤藍子)
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