恵比寿ガーデンプレイス内の「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」 94年、フランス外で初出店となる「タイユヴァン・ロブション」が開業した=PIXTA

ロブション氏の先見性ということで言えば、伝統的フランス料理からヌーベルキュイジーヌへとかじを切ったことに加え、加工食品の開発への参画や、ジョルジュ・プラリュ氏が開発した真空調理法を学び、列車食堂のメニューを開発するといった取り組みが挙げられる。

高名なシェフにありがちな「加工食品なんて……」という姿勢はとらず、「良いものは良い」として、素材や調理法には持ち前の厳格さを保ちながら、できる限り良い加工食品を開発し、広く販売していくという姿勢がロブション氏にはあった。

また、素材と調味液を真空パックにした状態に置くことで、素材に調味液が浸透しやすく、日持ちも長くでき、提供する際は再加熱するだけでよいというのが真空調理法の利点。このような新技術にも関心を持ち、取り入れていく姿勢は、ロブション氏が本物の料理人であると同時に、優れた経営感覚、先見性の持ち主であったことを物語っている。

■誠実、謙虚、厳格さから出た「引退宣言」

このように進取の気性をもって活躍してきたロブション氏だが、96年に突然引退宣言をし、「ジョエル・ロブション」(「ジャマン」の後身)を閉店、世界を驚かせた。「料理人は50歳を過ぎると腕が衰えてくる。自分は最高の状態で引きたい」と言っていたことを、「有言実行」してしまったのだ。

その後レストランプロデュースやテレビ出演などで活躍するが、弟子たちの「どうしても復帰してほしい」という声にこたえて2003年に現役復帰、日本でも新店を開店したり、恵比寿のシャトーレストランをリニューアルオープンさせたりした。

ただ、現役復帰後の活動を見ると、新しいコンセプトの店を開業させてもいるが、自分の店の経営というよりも、後進の育成が主眼となっていたのではないかという気がしてならない。「料理の腕はもちろんだが、それに人柄や経営感覚、先進性などが加われば、何をしてもいいんだよ」といった自分の背中を後進に見せ、励ましているロブション氏の姿が浮かんでくる。

ロブションさん、今度こそ本当に安らかにお休みください。

(元「日経レストラン」編集長 加藤秀雄)