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食の達人コラム

日本ウイスキーとともに育った「赤玉」、学者が支える 「世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(21)」

2018/7/20

坂口謹一郎氏はサントリーの山梨ワイナリーで使うワイン用酵母を供給してくれた(サントリー登美の丘ワイナリー)

産業として定着する前の初期の段階では、外部の知識や技術や知恵にも助けてもらわなければならない。そのためには、今のビジネスマンとは比較にならないほどの知己、人脈を持っていたのではないかと思う。

坂口研究室は、山梨のワイナリーで使うワイン用酵母の優良株を分離して、供給したほか、様々な技術課題の解決の労を担ってくれた。坂口は最晩年までサントリーの顧問を務めていた。

小学校卒業後、2年間大阪商業学校で学んだ信治郎であったが、坂口はじめその道の碩(せき)学を知己に持っていたのは、信治郎自身の人柄にあったことは想像に難くない。私が昔、会社の大先輩からよく聴いたのは、疑問に思うことはその道の専門家に徹底的に話を聞き、納得するまで解決の道を探った、とか、海外から業界誌や専門誌を取り寄せ、訳させ、最新の知識を持っていた、という話である。

真理は案外シンプルで、それを分かり易く説明できるのが専門家だったのだろう。信治郎はそのことをよく知っていた。

工部大学校は東京大学工芸学部と合併して消滅したが、工部大学校でスコットランド人脈の教師達が教えた「エンジニアの思想」とそれに基づく技術者、研究者の真理探究への義務感は脈々と受け継がれ、ワインやウイスキーにまで波及したのである。維新後、わずか20年で産業革命に着手し、その後20年で成し遂げた当時の日本の姿が浮かび上がる。

ワイン、ウイスキーの開発には、坂口の東大始め、京大、阪大という当時の日本の頭脳を呼び集めていたことも信治郎のスタイルの特徴である。つまり、日本の知力を総動員して洋酒分野でつくり上げたのが日本のウイスキーであり、ワインなのだ。特にウイスキーは、政府の支援は皆無で、信治郎がその人脈を通じて技術蓄積していった。日本のウイスキーがいかに模倣とは隔絶したものか再認識する必要がある。

サントリーシングルモルトウイスキー 山崎

今回は日本ウイスキーの故郷、出発点、山崎蒸溜所のウイスキーを紹介したい。

「サントリーシングルモルトウイスキー 山崎」を少し濃いめの水割りで。

1986年10月、白州蒸溜所から本社生産部に転勤となった私は、この蒸溜所の品質開発プロジェクトの事務局員になった。通った山崎蒸溜所は長い歴史と風土と多くのエピソードを持っていた。

そして、山崎原酒の特質を目の当たりにする機会が訪れた。京料理を食べながら「山崎12年」を飲んだ時であった。料理のうま味が「山崎12年」でさらに増幅されるのである。相性がよいということだ。同じ感動を大阪の割烹(かっぽう)でも経験をした。割烹の割に秀でた大阪と烹に秀でた京都の料理法が一体化した日本の料理スタイル、割烹。この山崎原酒を育んだ様々な知恵や技、そして自然環境。それに加えて、関西の食文化を持った鳥井信治郎の手塩に掛けた作品が山崎原酒だということを実感した。山崎の地が日本で最初のウイスキーに与えた祝福がなければ日本ウイスキーは今日の姿に至ることはなかったに違いないと思った。

「サントリーシングルモルトウイスキー 山崎」は現チーフブレンダー福與伸二が設計した。新たなチャレンジがなされた、新世代の息吹に満ちた味わいを持っている。

山崎蒸溜所の伝統であるミズナラ樽貯蔵モルトと、革新のワイン樽貯蔵モルトをはじめとした様々な山崎蒸溜所のモルトが出会うことで生まれた。やわらかく華やかな香りに潜むイチゴのような香りはワイン樽熟成原酒がもたらし、甘くきらめくような、なめらかな広がりはミズナラ樽熟成原酒が加わることによって生まれる。

蜂蜜、広がりを感じる甘み、バニラ、シナモン、なめらかな口あたりときれいで心地よい余韻。「サントリーシングルモルトウイスキー 山崎」の持つこの甘みは、和食との相性に大きな役割を果たしている。刺し身でも焼き物でも煮物でも、相性は抜群だ。 

(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)


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