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食の達人コラム

日本ウイスキーとともに育った「赤玉」、学者が支える 「世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(21)」

2018/7/20

樽貯蔵へのこだわりがウイスキーの味わいを深める(サントリーの山崎蒸溜所)

本格的な日本ウイスキー確立に取り組む鳥井信治郎は苦しい経営の中、様々な習作をつくりながら原酒の熟成をひたすら待つ。

12年物原酒をレシピに入れて満を持して世に問うたのが、「サントリーウヰスキー12年」であった。後にサントリーの救世主となる、いわゆる「角瓶」の誕生である。1937(昭和12)年、信治郎58歳の秋であった。

信治郎は樽(たる)貯蔵には主にシェリー樽を使っていた。シェリー樽は通常スペイン産のナラを使うが、その材から出てくるタンニンの影響で、レーズンやチョコレートの味がする。この味わいは熟成の進行とともにスモーキーを和らげる。また、山崎の水と自然環境は山崎原酒に心地よい甘味ももたらす。こうして日本ウイスキーのベストセラーが山崎原酒から誕生した。「角瓶」と呼ばれるようになったこの製品で信治郎はウイスキー事業の愁眉を開いた。信治郎が信じた樽熟成と選びに選んで決断した山崎の風土が応えてくれた。

スコッチウイスキーは、フランスとの長い同盟関係がスコットランドにもたらした豊富なフランスワインの味わいを意識してつくられてきた。信治郎はスコットランドから遠く離れた日本で、自ら起こしたワイン事業でワインを学んだ。この経験が、新生鳥井ウイスキーのブレンドや品質進化にどれほど役立ったかを神仏に感謝したに違いない。

「角瓶」で危機を脱するまで、日本ウイスキーの自立への道は困難の連続だった。赤玉ワインからの利益はあったものの、キャッシュを生まないウイスキーを支えるために山崎稼働開始のころから始めた様々な製品の販売で日銭を生み出す取り組みは涙ぐましいものがあった。歯磨き粉、カレー粉、コショー、しょうゆ、ソース、紅茶、ジュース、ビール…。そして、1931(昭和6)年、「白札」発売以降も歯を食いしばって仕込んできたウイスキーが全く売れない状況にあって、資金不足でウイスキーの仕込みができない事態が生じる。信治郎は思い切った手を2つ打つ。1つは事業選択と集中、そしてもう1つは大黒柱「赤玉」の中身設計変更である。

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