俳優・中尾明慶さん 「辞めたい」受け止めた母

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の中尾明慶さんだ。
――芸能界に入ったのは両親のすすめだったとか。
「すすめというほど大げさなものではないです。僕はずっと『テレビに出る人になりたい』と言っていて、小学3年生のときにレッスン生を募集するホリプロの広告を見たんです。それで両親が『せっかくだからやってみれば』と応募手続きをしてくれて、審査に合格しました」
――芸能活動に熱心なご両親だったのですか。
「いえ、息子が本当に俳優になるとは思っていなかったと思います。教育方針が『やりたいことはまずやってみろ』だったので、習字やそろばんなどの習い事と同じ感覚だったのかな。週に1回ほどのレッスンでしたが、特別裕福な家庭ではなかったのに通わせてくれたことに感謝しています」
――2001年にテレビドラマ「3年B組金八先生」で本格デビュー。ご両親は喜ばれたのでは。
「それまでにエキストラのような役はあったのですが、名前やセリフがちゃんとある役のオーディションには落ち続けていました。両親は『次に頑張ればいいじゃない』と言ってくれていたのですが、僕は両親が喜んでくれる顔が見たかった。父は若い頃に役者を志していた時期もあったらしく、そういう意味でも恩返しができたかなと思いましたね。ドラマ撮影に入る前の『あいさつだけはしっかりとしろ』という父の言葉は今も胸に残っています」
――仕事のことを相談することもあったんですか。
「普段は仕事のことを何も聞かない親でした。でも、2005年にドラマ『ブラザー☆ビート』に出演していた時、演技に行き詰まって自宅のソファで落ち込んでいたんです。その時に母が『何かあったの?』って。やっぱり親だから分かるんでしょうね。初めて弱音を吐いて『俳優を辞めたい』と泣いてしまいました」
「母は黙って僕の話を聞いてくれて『辞めたいなら辞めなさい。でも、今頂いているお仕事だけはしっかりして、事務所には自分で話しなさい』と言ってくれて、心が楽になりました。『せっかくデビューできたのに辞めたらもったいない』なんて言われていたら、本当に辞めていたかもしれませんね」
――やりたいことはやって、でも心からつらいならやめてもいいという教育方針だった。
「そうですね。13年に長男が誕生したのですが、両親が僕にしてくれたように育てています。長男が俳優を志したら? もちろん応援します。親は子供の一番のファンですから。でも、僕よりもいい役を演じたら悔しいかな。今秋には初めてNHKの『連続テレビ小説』に出演します。息子に負けないように僕も頑張らないといけないですね」
[日本経済新聞夕刊2018年6月19日付]
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