「金色夜叉」のオペラ オーストリアで横川朋弥が作曲
グラーツ芸術大学と歌劇場が連携、未来の傑作を探る

明治時代の小説「金色夜叉」の名場面が21世紀のオーストリアで今年5月、オペラとしてよみがえった。首都ウィーンに次ぐ同国第二の都市、グラーツの芸術大学と歌劇場が手を組み、作曲を専攻する学生を対象にオペラ制作のワークショップを積み重ね、最後に残った4作を一挙に上演するプロジェクト「未来のオペラ(Oper der Zukunft)」の一環だ。現在はベルリン芸術大学に在籍する29歳の作曲家、横川朋弥(長野県出身)にとっても初のオペラ創作体験となった。
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グラーツ歌劇場と芸術大学の連携は2007年から続く。「未来のオペラ」の始まりは、教授で劇作家・演出家のエルンスト・マリアンネ・ビンダーがプロジェクトの統括責任者に就いた14年。在学生なら「誰でも参加できる」(横川)形で3年間の指導プログラムを用意して、作曲科や演劇科の教授たちが音楽劇の構造やリブレット(台本)の書き方などを個別に指導。16年夏に「オペラ冒頭の4~5分の楽譜」を提出させてふるいにかけ、4人に絞った。さらに2年近くを費やし、1人当たり20~30分の室内オペラに仕上げた。
だが、ビンダーは17年1月27日に急死。18年5月27日の初演から6月8日までの4回の上演は「その血潮の炎の中で」と名付けられ、偉大な劇場人だった指導者を追悼する催しにもなった。


会場はグラーツ歌劇場が所有する座席数100の小劇場「ストゥーディオビューネ」(実験舞台)。ゲルト・キュールに師事したメキシコ人ホセ・ルイス・マルティネスの「根底と空洞」、クラウス・ラングに師事した横川の「Der Goldene Damon(金色夜叉)」、ベアート・フラーに師事したスペイン人ハヴィエ・クィスランの「老いた眼差し」、クレメンス・ガーデンシュテッターとゲルト・キュールに師事したルーマニア人ロレンツォ・トロイアニの「アンティゴネ、そして終わりなき」の順番で前半後半2作ずつ、一挙に上演された。指揮はオーストリアの若手レオンハルト・ガルムス、演出はクリストフ・ツァウナーが4作とも手がけ、小編成のオーケストラや合唱にはオーストリア国内各地で学ぶ若手演奏家が参加した。


「根底と空洞」はホラー風のタッチで、最後は国家権力の恐怖を思い知らせる。「老いた眼差し」は無声映画に似た手法を多用、にじり寄る女たちと拒む男の「かみ合わなさ」加減が夢とうつつ、過去と未来の時間を往来する。「アンティゴネ」はソフォクレスのギリシャ劇を下敷きとしながら声それ自体と言葉、歌の扱いが前衛的で、難解な作品。地元紙の批評では、最も高い評価を得ていた。
「金色夜叉」は尾崎紅葉(1868~1903年)が1897年(明治30年)から1902年にかけて書き続け、未完に終わった一大ロマン。高等中学校の学生、間貫一(はざま・かんいち)は、長く婚約者だった鴫沢宮(しぎさわ・みや)が急きょ富豪の富山唯継(とみやま・ただつぐ)に嫁ぐことを決め、「ダイヤモンドに目がくらんだ」と激怒する。熱海まで宮と母親を追いかけて詰問しても、宮は本心を明かさない。貫一は宮をけり飛ばし、復讐(ふくしゅう)を誓う。長く親しまれてきた「熱海海岸の貫一・お宮」の場面を、横川はオペラの題材に、日本語のまま転用した。


「一時は三島由紀夫の『近代能楽集』の『熊野(ゆや)』に食指を動かしたが、初めてのオペラには美しい景色がほしいとの思いが募り、『金色夜叉』の熱海の部分に自分で手を入れ、台本にした。合唱は能の謡を意識して書いた」と、横川は創作過程を振り返る。
編成は貫一のテノール、宮のソプラノのソロ歌手2人、合唱のバス歌手3人と8人編成(アルトフルート、イングリッシュホルン、トロンボーン、アコーディオン、打楽器、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)の室内アンサンブル。合唱はグラーツ歌劇場所属の歌手が日本語の暗譜に挑んだが、ソロにはウィーンを本拠に活動する佐々木莊生、尼野華緒子が招かれた。

背後の合唱、手前のソロの間にかかる紗幕(しゃまく)にはビルの夜景が投映され、宮はチャイナドレスに身を包む。貫一はスーツ姿。演出のツァウナーはベタな熱海ではなく、「むしろ香港の夜を意識した」という。管弦楽がスリラー風の雰囲気を醸しだし、アコーディオンが効果的に浮き上がる。2人の歌が熱を帯びるうち、大きなクライマックスが訪れ、最後は潮が引くように終わる。日本人の聴き手には十分雄弁な音楽として響いたが、繊細すぎたのか、地元紙の一つは「管弦楽が伴奏の域にとどまる」と批評した。
初日の客席は熱狂的な反応を示し、作品ごと、さらに関係者全員のカーテンコールが延々と続いた。4作が大きく異なり、それぞれ二十数分の短編にもかかわらず、しっかりとしたドラマを描けた背後には、演出家やドラマトゥルグ(ベルント・クリスピン)の徹底した指導があったと思われる。「ここではまだ、オペラが『生きている』」と実感できる、優れたワークショップの成果発表だった。
日本では修業時代から歌劇場に出入りしてオペラづくりを目指す音楽学生が少なく、作曲家として功成り名遂げた揚げ句、「そろそろオペラの一つも書いてみるか」と考える傾向が長く支配的だった。中にはオペラ専門の作曲家も存在したが、専門の台本作家は皆無に等しく、ラジオドラマの作家らが、やたらと言葉の多い台本を与えてきた。グラーツの「未来のオペラ」プロジェクトは作曲家のキャリアの早い時期から歌劇場、劇作家、演出家との共同作業を体験させ、将来のオペラのレパートリーを豊かにしていくことを目的としている。日本でも同種の試みが、ようやく始まったところだ。
文化庁は「平成30年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」として「日本のオペラ作品をつくる~オペラ創作人材育成事業」を昭和音楽大学に委託。今年6月にスタート、2018~20年の3年度を費やし、公募の後に選考を通った作曲家16人、台本作家13人を対象にワークショップを実施する。講師には国内の専門家だけでなく、韓国の先行ケースである「世宗カメラータ」の指導者らも交え、試演会を重ねる。2年目に3~5作品のリーディングコンサート、3年目に最優秀作品の舞台上演を目指す。応募資格は40歳前後を上限としていたので、未知の作曲家によるまったく新しいオペラが誕生する可能性もあり、注目を集めている。(敬称略)
(NIKKEI STYLE編集部 池田卓夫)
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