女性の受け入れに企業も現場も戸惑った時代

「現在のように明確なコース分けがあったわけではなく、転勤の『ある・なし』どちらでも選べたんです。九州にいようと思っていましたから、あまり深く考えずに転勤なしを選んだというのが正直なところ。でも、すぐに後悔しました。世の中の仕組みをよく理解していなかったと言いますか、転勤がないとチャンスが減ることを知らなかったんです」

女性をどう扱ったらいいのか、企業も手探りだった。品質保証担当として打ち合わせの現場に行くと、「なぜ、ここに女性が?」とけげんな顔をされることもあった。

工場特有のスケールやダイナミックさに魅せられ、醸造部門に志願した

「今とは時代が随分違います。当時、女性は大抵、事務職で、出社するとまず机を拭いて、お茶くみをして、とやっていました。そこに私のような技術職が入ったものだから、職場は大混乱。でも、それも1週間ぐらいで落ち着きました」

心がけていたのは、「普通に仕事をする」ということだという。

「現場の人たちは相手が男性か女性かではなく、『自分たちの役に立つ人間かどうか』を見ています。認めてもらうためには、役に立つ人間になることが大事で、そのための努力をしたということです」

周りにいる男性技術者と同じように仕事をしていたら、自然と「お茶くみ」はできなくなり、そのうち誰からもそれを求められなくなった。

工場の魅力は「スケール感」にあり

工場で働く醍醐味は「スケール感を味わえること」。福岡工場に勤務していたときは、敷地内を軽自動車に乗って移動していた。

工場には仕込みや発酵などの工程ごとに必要な釜が備えてあり、小さいものでも直径5、6メートル、大きいものだと直径13メートル近くにもなる。初めて巨大釜を見た時は、「半端ではないダイナミックさ」に引きつけられた。

「(キリン入社前は)もっぱらラボラトリー(研究室)の世界にいたので、使うとしてもせいぜいがビーカー。それがいきなり巨大釜ですから」

「どんな仕事をしているの?」と聞かれ、体外診断薬を作っていると言ってもなかなかわかってもらえなかったが、「ビールを造っている」と言えば、誰でもすぐにわかってくれる。それも、転職してしみじみ感じたことだった。

せっかくビール工場で働いているのだから、この手でビールを造ってみたい――。そんな思いが募り、「だめもと」のつもりで醸造部門への異動願いを出していた。希望がかなったのは、98年に神戸工場の醸造担当となったときだ。地域限定コースでなくなったことを知ったのも、神戸工場に移動した後だった。

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本社への異動が大きな転機に
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