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石田博基 BASFジャパン社長

石田博基 BASFジャパン社長

150年余の歴史を持つドイツの化学大手、BASF。日本法人のBASFジャパン(東京・港)で2018年2月、初の生え抜き日本人トップが誕生した。石田博基社長、50歳。若い頃から将来の幹部候補として、ドイツ本社や東南アジアの拠点で研さんを積んできた。同社の全世界の従業員は11万人を超す。海外の同僚との厳しい競争を勝ち抜くため、自分の価値を生かす道を徹底して追求してきたという。

ドイツ到着1日目にカルチャーショック

「あの一夜のことは今でも忘れられない」。石田氏がこう振り返るのは、初めての海外赴任でドイツの地に降り立った日のことだ。

北里大学衛生学部(現在は理学部)を卒業後、BASFジャパンに入社して4年目の1997年。染料を祖業とするBASFの最初の研究組織である中央色材研究所への出向が決まった。アジアの有望な技術者を受け入れる研修プログラムの対象に選ばれたのだ。もともと海外志向が強く、学生時代はバックパッカーとして米国などを旅してきた。「何とかなるだろう」。何の不安もなく旅立ったが、その自信はすぐさま打ち砕かれる。

ドイツ語を学ぶため、最初の1カ月は語学学校の寮に入ることが決まっていた。忘れもしない1月17日。凍えるほど寒い夜、「BASFが手配したタクシーで空港から寮まで行き、ポンと鍵を渡された」。だが鍵が開かない。ドイツ式で開けるのにコツが必要だったが知らなかった。ようやく開けて部屋に入ったが、暖房のつけ方がわからない。結局、布団にくるまって震えながら一夜を過ごしたという。

「日本なら外国から人が来ればお膳立てをするでしょう。しかしドイツは一切ない。すべて自分でやれ。いきなりカルチャーショックでした」。さらに翌日、その話を語学学校で話すと、「なぜ周りに聞かないのか」と言われた。質問するのは恥ずかしいことじゃない。聞けばちゃんと答えてくれる。自己責任に対する意識の差にも驚いた。

だが、これはほんの序の口。1カ月の語学研修を終え、研究業務に入ってからが本当の試練だった。日本法人では、当時大阪にあったアプリケーションラボに3年弱勤務し、染色の技術サービスに携わってきた。しかし、ドイツの研究所には世界から精鋭が集まる。ほとんどが博士号を持っていた。自分は大学院も出ておらず、ドイツ語もわからない。

「力のなさを痛感しました。これで給料をもらっていいのか、真剣に悩みました」。だが、悩んでばかりでも仕方ない。成果は出さなければいけない。考えたのは「同じ土俵で勝負しても、並で終わってしまう」ということ。自分の価値は何なのか、どこで会社に貢献できるのか。

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