2018/5/26

ビジュアル音楽堂

ラフマニノフの人気が高い理由の一つは、現代に奇跡的に出現した甘美なメロディーと和声によるものだろう。「パガニーニの主題による狂詩曲作品43」をはじめ、渡米後の作品はロマンチシズムがむしろ増し、ハリウッドの映画音楽にも通じるほどの作風だ。「心に直接訴えかけてくる音楽。彼が生きた当時よりも、ストレス社会を生きる現代の人々の心に響くのではないか」と伊藤氏は分析する。

感情を揺さぶる哀愁の短調作品が多い作曲家

そのロマンチシズムはポピュラー音楽にも影響を及ぼしている。米国のシンガーソングライター、エリック・カルメン氏のヒット曲「オール・バイ・マイセルフ」のほか、英国のロックバンド、ミューズにも「ピアノ協奏曲第2番」に基づく曲がある。フィギュアスケートの音楽としても盛んに使われる。ピアノ協奏曲の超絶技巧が注目されがちだが、「ラフマニノフの楽曲はどれもシンプルな構造を持っている。その簡潔さも魅力だ」と言う。

インタビューに答えるチェリストの伊藤悠貴氏(4月27日、東京都日野市の日野市民会館大ホール)

哀愁を帯びた短調の曲が多いのも特徴だ。これに関しては17年末の大みそかに東京文化会館(東京・台東)で開かれた小林研一郎氏の指揮による「ベートーベン全交響曲連続演奏会」で、主催者側を代表して作曲家の三枝成彰氏が休憩時間に披露した「長調と短調」についてのトークが興味深い。

三枝氏はベートーベンの交響曲第1~9番のうち、主調が短調なのは「第5番ハ短調『運命』」と「第9番ニ短調」の2作品のみであることを指摘。その後、個人の感情表現を一段と重視するロマン派の時代が進むにつれて、短調の作品が増え、「ラフマニノフに至っては100%(交響曲第1~3番すべて短調)」になったと解説した。「短調のほうが人々の感情を揺さぶる」との三枝氏の説明は、ラフマニノフの人気の秘密を明らかにしている。ちなみにピアノ協奏曲も第1~4番の全作品が短調だ。

4月27日、東京都日野市の日野市民会館大ホールで伊藤氏が練習するのを聴いた。ピアニストの山田磨依さんのピアノ伴奏によるラフマニノフの「チェロソナタト短調」だ。今回の映像では、甘美な旋律が夢見心地にあふれ出す第3楽章アンダンテを弾く様子が捉えられている。「生まれ変わるとしたらこの曲になりたい」と言うほど伊藤氏は「チェロソナタ」にほれ込んでいる。繊細なニュアンスを加えながらも、よどみなく流れるロマンチックな「無言歌」の演奏だ。

使用したチェロはイタリアの歴史的名匠マッテオ・ゴフリラーによる1734年製の名器。ウィグモアホール公演に向けて借りたという。「表現力が豊かなチェロ。ラフマニノフが重視した中・低音域がよく鳴る」と評する。

ラフマニノフ作品の演奏はこれまでピアニストがけん引してきた。「歌曲や交響曲も本当に素晴らしいし、もっと聴かれていい作曲家」と伊藤氏は主張する。ラフマニノフの新たな伝道者、それはチェリストだ。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)